ケプラー疑惑(ジョシュア・ギルダー&アン・リー・ギルダー著)/地人書館

「それでも地球は回っている」で興味を持ったケプラー疑惑についての本。読んでみた感じでは2009年発行の「それでも地球は回っている」のティコとケプラーについての記述は、この本(2006年に日本語訳出版)を下敷きにしているようだ。

 

近代天文学の基礎を築いたティコ・ブラーエとケプラーの生涯と研究を辿りながら、副題である「ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録」の真相を探り、ふたりの性格と深刻な対立、ティコの死因分析や当時の状況などから、「ケプラーが観測記録の開示を拒むティコを水銀を投与して暗殺し、観測記録を盗んだ。」と結論づけている。

本書では、デンマークでも有数の貴族で、(いろいろ苦難はあったにせよ)国王や神聖ローマ皇帝の寵を受け、性格的にも傲慢だが寛大でもあったティコと、没落した家柄で人格破綻者ばかりの家庭で育ち、キレやすく執念深く、道徳観念は希薄でコンプレックスと裏腹の自負心、功名心が異常に強いケプラーを対比させている。確かに、ある種英雄伝のような波乱万丈さ(平民の娘と事実婚、そのことで苦労しながらも死ぬまで妻子の行く末を案じ、調査のために棺が発掘されたときも妻と一緒に発見される辺りも泣かせる)のティコ伝に比べ、ケプラーの不運続きの人生や本人や家族の人格破綻ぶりは陰鬱至極なものだ。

ただ、ティコの死の真相の部分は、他の容疑者の退け方があまりに適当で(そりゃ400年も昔のこと、親戚や使用人やら友人やらその他チャンスのあった人々の行動や性格、ましてティコを殺す個人的動機の有無なんてわかりっこないが)、ケプラー犯人説ありきで、申し訳程度に名前を挙げては取り下げてみました的な感じになってしまっている。ティコが毒殺されたとして(本書出版後に行われた調査分析では、水銀は致死量とは認められなかったという別の結果も出ているようだが)、本書にあるとおり当時も毒殺の噂があったとするなら、ティコの女婿で政治的にもやり手だったテングナールは、何故ケプラーを殺人者として追及しなかったのか?ケプラーが捕まれば、持ち逃げされた観測記録を取り戻すのも容易かったのではないか?だいいち、いくら人格破綻者だったとしても、持ち逃げと毒殺では罪の重さがまったく違う。暗殺や陰謀に慣れた宮廷人ならともかく、貧乏学者に過ぎないケプラーが事の前後で平静を保てるものだろうか?

そして、これは個人的な感覚に過ぎないけど、「自己分析」で執拗なまでに自分の醜い性格を克明に分析し記録している(反省して直そうとしているわけではなく、星回りのせいにしているだけだし、自分の性格を嫌悪すると同時に愛し甘やかしているようにも見えるが)、そのケプラーが本当に「殺った」のなら、「殺った」とどこかに遺しそうな気がするのだ(笑)

いずれにしても、「やりかねない人物だった+動機があった+やる機会と能力があった(と推測される)」だけで「お前が犯人だ!」と言われてしまうのは、いかに400年前の著名人とはいえちょっと不公平な感じがする。

ただ、当時のヨーロッパの政治的・宗教的動乱の中で、宇宙の在り方に神の御業を見ようとした天文学者たちの苦闘(観測や計算、議論だけでなく、名声の奪い合いや金策やパトロン探し、戦乱や弾圧からの避難も含めて)とそれを見出したときの陶酔、生い立ちも性格も宇宙観も異なる老人と若者の葛藤と破局、というのは物語としては非常に面白いものがあって、むしろ完全にフィクションにしたら傑作が生まれるかも、と感じた一冊でした。

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