『アンティゴネー』(ソポクレース/岩波文庫)

名前のみ知っていた古代ギリシア悲劇の傑作。確認したい一節があって図書館で借りてきたのですが、結局買ってしまった…とにかくアンティゴネーの強烈に「いい性格」が印象的な作品。 アンティゴネーは、かの有名なオイディプス王の娘で、本作は『オイディプス王』の後の事件を描いていますが、2014年版の解説によれば、書かれたのは『オイディプス王』よりも前だったようです。 話の前提が複雑なのでまずは前日談を。

【前日談】

他国からテーバイに放浪してきてスフィンクスを倒し、夫を失い寡婦となっていた王妃イオカステを妻として王に迎えられたオイディプス。しかしその後、テーバイを疫病などの災厄が襲う。オイディプスは災厄の原因を突き止めようと熱心に追及を始めるがその果てには、自分こそが神の怒りの元凶、父ライオス王を殺し、母イオカステを妻とする罪を犯した呪われた存在であったことという事実が待ち受けていた。妻であり実は母でもあった王妃イオカステもそれを知って自ら縊死、オイディプスは絶望して自分の両目を潰し、自らを追放処分に処す。

というところまでが『オイディプス王』で描かれている事件。

オイディプスとイオカステの間には、エテオクレスとポリュネイケス、アンティゴネーとイスメーネーという4人の兄弟姉妹がいた。

オイディプスが去った後、エテオクレスとポリュネイケスは王位を争うようになるが、ポリュネイケスは敗れてアルゴスに亡命、アルゴス王女と結婚して、今度はアルゴス軍を率いてテーバイを攻め、兄弟のエテオクレスと相打ちになって死ぬ。2人の死で再び空位になった王位を継いだのはイオカステの弟で、4人にとっては叔父にあたるクレオン(王妃の弟がなんの資格で?と思いましたが、系図を見ると彼とイオカステも5代遡るとテーバイの祖カドモスにたどり着く、王家ゆかりの血筋だったんですね)…

 

とここまでが『アンティゴネー』の前におこった出来事。 当時のテーバイは災難続き。王妃の弟だったクレオンは最初から最後までそれに付き合わされてて、

ライオス王は行きずりの誰か(実はオイディプス)に殺されて王不在、スフィンクスの謎かけ被害に苦しめられ、そこにオイディプスが颯爽と登場して救ってくれた、こりゃ掘り出し物の王様キター!と思ったのもつかの間、テーバイを災厄が襲い、原因を突き詰めていったら衝撃の事実が明るみに出て、姉は自殺、オイディプスも王様やめるってよ……残された王子たちは王位を巡って争いを始め、ようやく決着ついたと思ったら、あろうことか負けた方は逆恨みして外国の軍隊を率いて攻めてきやがった!!……ふう、なんとか撃退。裏切者ポリュネイケスも討ち取った。兄弟相討ちで、王までまた死んじゃったけど。

って感じですかね。『アンティゴネー』ではひどい役回りのクレオンですが、これに全部振り回されてたと思うとちょっと気の毒。オイディプス追放後、王子たち兄弟はまだ若かったし、生まれも不吉だし、排斥して自分が王位ににつこうとしても不思議ではなかったのに、兄弟を王位につかせてるし、利己心の強い人物ではなかったことが窺えます。

【あらすじ】※ネタバレです。

国難を乗り切ったクレオンはテーバイの新王となる。クレオンはテーバイの安寧を思うあまり裏切者を激しく憎み、祖国に弓引いたポリュネイケスの遺体の埋葬を禁じる布告を出し、放置して腐敗し鳥獣に喰われるるままにさせる。それを知ったアンティゴネーは布告に背いて兄の埋葬を行おうと、妹イスメーネーに協力を求めるが、王命を恐れ、女は男と戦うようには生まれついていない、だから従うしかない、と反対されてイスメーネーを軽蔑し、自分ひとりで埋葬を行うと宣言する。

埋葬の儀式が行われたことは、やがてクレオンも知るところとなり、アンティゴネーは捕らえられてクレオンの前に連行される。なぜ布告に背いて埋葬をしたのか、と尋問するクレオンに、自分は神々の定めた法を守ったのだ、あなたのお触れにそれを凌ぐ力はない、と真っ向から立ち向かう。死者となっても敵は敵、埋葬などまかりならん、とするクレオンと、敵味方など死者には関わりない、埋葬は冥界の神の定めだ、というアンティゴネー。会話は定規で測って書いたような平行線。

そこに、共犯を疑われたイスメーネーがて連行されてくる。イスメーネーは共犯として処断されることも辞さないと、アンティゴネーに寄り添う発言をするが、アンティゴネーは何を今さらと冷たく撥ねつける。 姉妹が王の前から退出すると、クレオンの息子でアンティゴネーの婚約者でもあるハイモンが登場し、アンティゴネーの処刑を思いとどまるよう理を尽くして父を説得するが聞き入れられず、逆に酷い侮辱を受けて、父子は決裂する。

それでも息子の言葉に多少日和ったのか、クレオンはアンティゴネーを当初予定していた石打ちの刑に処すことをやめ、わずかの食べ物を与えて岩屋に幽閉し、餓死させようとする。乙女のまま生きながら墓に送られることを嘆きながら連行されていくアンティゴネー。

続いて預言者テイレシアースが登場し、ポリュネイケスのへの仕打ちが神々の怒りを買っている、過ちを正せと警告する。 初めは例によって聞く耳持たず、この高名な老預言者までも侮辱するクレオンだったが、怒ったテイレシアースがクレオンの受ける報いを預言して帰ってしまうと不安になり、長老たちの助言を容れてアンティゴネーを解放し、ポリュネイケスも埋葬することを決意して出立する。

しかし時すでに遅く、一行が到着したときにはアンティゴネーは既に縊死しており、彼女にしがみついて嘆いていたハイモンは、恨みを込めて父に切り掛かり、討ち損じると今度は自らを突いて死ぬ。 失意のクレオンが城に帰り着くと、息子の死の悲報を受けた王妃が自刃してしまったという報せが待ち受けていた。 妻も子も失ったクレオンは、自らを責め、悲嘆にくれるーーー

【感想】

頑なで自分を曲げず、破滅へと突き進む主人公アンティゴネーと、権威を重んじるが思慮深さに欠け、頑迷なようでいてくるくると小刻みに方針を変える叔父・クレオン王の対比が印象的。アンティゴネーのような意思の強さはないが愛情深い妹イスメーネーや、悲劇の中で一人だけ明るく、生の雰囲気を漂わせる番人など、脇役の人物描写も鮮やか。

裏切者として死んだ兄を見捨てられず、王命に逆らってひそかに埋葬の儀式を行う妹…と、こう書くとけなげで優しい感じがしますが、どうしてどうして凄い性格してます、アンティゴネー。冒頭で妹イスメーネーに相談を持ち掛けて断られると途端に態度を変え、事件の後、姉の逮捕に心を痛めたイスメーネーが彼女と運命を共にすると言ってもまったく心を動かされず、取り付く島もない。クレオンに対する態度も堂々としているを通り越して不遜、歯牙にもかけていない感じさえ受けます。劇中で、気性の激しさは父親譲りだと評されていますが、この、自分を曲げずに突き進んでしまう感じは、確かに似てますね…オイディプスは知らずに破滅に突き進み、アンティゴネーは承知の上でやっているというところは違いますが。 兄ポリュネイケスの埋葬とその正当性の主張への強いこだわりや、愛を口にする割にイスメーネーを切り捨て、クレオンを愚か者と軽蔑し、彼女を一心に思う婚約者ハイモンはほとんど無視という冷たさ。この特異な人間性が、やっぱりこの作品の一番の魅力なのではないかと思います。

対するクレオンは、頑迷ではあるのだけれど、誰かに何か言われたり、障害が出てきたりするとくるくると前言を翻す。いい年した王様であるクレオンは、物事のいろんな要素を熟慮してから決定を下すべき立場にいるわけですが、自分の信念・自分の思い込みだけで判断してしまって後から周囲にあれこれ言われ、そうすると本物の愚か者ではないので軌道修正せざるを得なくなってしまう。思い込みと言えば、他の登場人物に対してやたらに「〇〇したのはお前だろう」「お前の意図は△△だろう」と指摘するのですが、これがまた、ほぼすべて邪推で間違っていて、はっきり言って、王様どころかただの家長にも課長にもなって欲しくない人です。

結局その器のなさ、思慮の足りなさがラストの悲劇を惹き起こし、失意の中で自分の非を悟るのですが… 改めて全体通して見ると、最初は嫌な奴にしか見えなかったクレオンが、なんだか可哀想に見えてくる。苦労続きの、直系でもない王。偉ぶって周囲を振り回しているようでその実、尊敬されてはいないし、結局我を通せてもいない。どこか滑稽で、でもやはり哀れなその姿は、今でも結構あちこちで見られるものじゃないだろうか。

【翻訳】

はじめ図書館で借りて読んで、これはやっぱり買ってしまおう!とamazonでポチったまではよかったが、送られてきたのをみると、あれれ?この前借りたのとなんか違う… よくよく見ると、図書館で借りたのは中務哲郎訳の(初版2014)、amazonで買った古本は呉茂一訳(初版1961)でした。出版時期も訳者も違うので、違うのは当然なのです(中務訳の方が、アンティゴネーの尖った性格がより顕著な感じかな)が、一番驚いたのはクライマックス、岩屋に曳かれていくときのアンティゴネーの台詞(もともと、訳あってこのセリフを確認したくて借りてみることにしたのだ)。

 

「だが、もしこの人たちが間違っているのなら、私に対する非情なしうち以上の苦しみはあり得ないが、苦しむがいい。」(中務訳)

 

「でも、もしこの人たちが間違ってるなら、道に外れた裁きに私を処刑するより、もっともっとひどい目を、この人たちがいつか見などはしませんように(呉訳)

 

呉訳の方の台詞は皮肉なんだろうと考えれば、心情的には似たようなものなんだろうけど、字面が違い過ぎる…それでいて、こうして並べてみれば、同じ文章を訳している、というのも納得できるのが不思議。 こういうこともあり得るのが翻訳なんだと頭ではわかっていても、実際に見ると面白くもあるし、危うさがあるのだという実感もわきます。だからと言って古代ギリシア語どころか英語も覚束ない私は、そういうもんだと思いつつ、翻訳を楽しませていただくしかないんですけど。

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