大河ドラマ「光る君へ」の影響で、平安期の古典がちょっとマイブーム。というわけで、手に取ったのは平安時代末期に成立したとされる説話集「今昔物語集」。本書は抄訳ですが、新訳だけあって訳文は読みやすいし、注釈も時として親切すぎるほどたくさんついていて、読んでいる途中でググって調べる必要が殆どないのは有難かった。
古代インド(天竺)や中国(震旦)を舞台にした話も少なくないが、やはり平安中期の本邦を舞台にした話が一番多いし内容的にも生き生きとして面白い。既読のものも含めて飽きることなく読めた。特に印象に残ったのは、
「武人のすぐれた機略で命を拾った法師の話」
ある法師が物忌みでかたく門戸を閉ざしているところに、懇意にしている武人・平貞盛(平将門を討伐した人である)が訪れて懇願するので仕方なく迎え入れたところ、その夜に襲撃してきた盗賊を貞盛の知略に富んだ応戦で撃退した、という話。杓子定規に物忌みを守って貞盛を迎え入れなかったら盗賊に殺されていただろう、というコメントが結構合理的。仏教色が強い説話集なので、そのせいもあるのかな?
「宿命には逆らえなかった阿闍梨の話」
真言を極めた非常に有能な阿闍梨が、女性と通じてしまって還俗させられた、という話なのだが、実はこの阿闍梨はずっと以前に、信奉する不動明王の夢のお告げで「お前は尾張の国のどこそこの屋敷の娘と契って夫婦になる宿命がある」と予言され、破戒僧になる運命を回避するため、尾張のその屋敷まで出かけていって、まだ幼い少女だったその娘の首を掻き切って、さあこれで元は断ったと一安心。ところが、娘は何とか一命をとりとめ成長し、それとは知らず阿闍梨と再会して予言は成就してしまうのだが…
いやいやいやいや。女犯の罪を避けるために人殺しするんじゃ本末転倒だろー。しかも阿闍梨本人はもちろん、不動明王も語り手(著者)もそこに突っ込まないし。
「猟師の母が鬼になる話」
猟師の兄弟が鬼につかまりそうになって反撃し鬼の腕を切り落とすが、帰宅してみると老母の具合がおかしい。老母が鬼と化して息子たちを食らおうとしていたのだ、という話。鬼になった理由というのが「あまりに長く生きると人間らしさを失い、必ず鬼となってわが子を食らおうとするものなのである」………って、どう考えればいいのか。何がモチーフになっているか思いめぐらすと暗澹たる気分になる。
「天竺の金持ちが牛に教えられる話」
牛の力比べをしようとするとき、弱そうだとかくさされた牛が負けてしまい、文句を言う主人に牛が「ちゃんと褒めてよ!」と言うので次の勝負では褒めてみると今度は勝てた!という、マネジメント講習にでも出てきそうな話。
「越前守為盛が臭い計略をめぐらす話」
役所に収めるべき米を納付せず、督促に来た役人たちを国守為盛が罠に嵌めて追い払ったという(タイトルで想像つくとおり)かなり尾籠な話。下品だがあっけらかんとした笑話なのだが、秩序が緩み切り、徴税体制も崩壊していた当時の状況が窺えて興味深い。
「平貞盛が胎児の肝を抜き取らせた話」
この本の中でも群を抜いて残虐な話。別の話ではカッコよく活躍した貞盛だが、この話ではひたすら酷い奴である。話の中では最悪の事態は避けられたっぽく書かれているが、そのために犠牲になった者たちのことは語り手も気に留めていないようで、それで余計に救いのない話に感じられる。
「文書改竄を命じた書記を口封じに殺す話」
笑えねえ…しかも改竄させた国守はその所業を憎まれはしたが、悪行の報いを受けてはいないのだ。
など。解説では成立にまつわる話や、構成面での特徴にも触れられていて、これまでは個々の話の面白さに目が行きがちだったけど、説話集全体としての面白さも味わってみたいと感じた。