八木西口のゲストハウスを引き払い、荷物を持って飛鳥駅に来た。今日は高松塚古墳とキトラ古墳を中心の墓巡りをしてから、奈良市内に移動の予定。
駅前にデデーンと観光PRの看板がある。それも、ただの看板ではない。
いわゆる萌え絵ではなくて、『マンガで読む〇〇』的な毒にも薬にもならないような軽い画なんだけど、こういうところにどどーんと出て来られるとちょっと恥ずかしい。若い人にはこういうのが親しみやすいんかのう…どうかのう。
全員、何やら怪しげなキャプション付き。
まず、駅を背にして国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区へ向かう。視界にはやはり、山が山が山が。
丘のようになっている公園を南東に進むと高松塚古墳。
古墳の近くの広場から明日香村を展望できる。頭上の梢で、ホオジロが元気にさえずっていた。「一筆啓上仕り候」とまではっきり聞きなすことはできないけど、すくなくとも冒頭の「イッピツ」は絶対に言ってるな(笑)
同じ歌の万葉歌碑が並んでいる。左は読みづらいけど孝書とあるので犬養孝の揮毫と思われる。石の表面の劣化で判読が難しくなったので、補足の意味で新しく石碑を立てたのかな。控え目な大きさと寄り添う角度、歌碑らしからぬ楷書体みたいなかっちりした字体、歌意も併記されているところなど、なんか可愛らしく、けなげな感じ。
そして、高松塚古墳(復元)。7世紀末から8世紀初めの造営で、直径は下段23m、上段18m。漠然と抱いていたイメージよりだいぶ小さい。
すぐ近くに高松塚壁画館があり、壁画の模写や副葬品の複製などを見ることができる。もちろん映像や写真で何度もみたことはあったけど、こうして見ると違う…古墳もそうだけど壁画も小さくて、短辺1.035m、長辺2.655m、高さ1.134m(パンフレットより)。棺を運び入れて安置するの石室としては必要十分な大きさだけど、必要十分な大きさでしかない。でも壁画には四神(といっても盗掘口が穿たれた南壁には朱雀は確認できないのだが)に日・月、男女の群像、天井には星宿図と、壮大なスケールと言うか、世界のすべてを欲張って詰め込むような勢い。
昨日見た石舞台古墳から数十年しか経ってないはずだけど、その間に死の思想も技術も大きく変わったんだろうな…被葬者の違いってのもあるんだろうけど。
高松塚古墳から南に10分足らずのところに文武天皇陵があるというので、キトラの前に寄ってみる。杜の中なので見えづらいけど、墓域自体それほど大きくない。墳丘の大きさは直径28mとのこと。もちろん周辺は柵で囲まれて立ち入り禁止になっている。
と、こういういうものものしさなのだが、実は文武天皇陵はここではなく、高松塚古墳より北の中尾山古墳だという説が有力なのだそうだ(この話は、この日最後に立ち寄った欽明天皇陵で出会ったボランティアガイドの方から聴いたのだけど、帰ってからネットで調べてみると、明日香村のHPにそう記載されていた)。
で、その中尾山古墳。これは高松塚古墳よりもっと北にある。
もちろん墳丘に登ったりはできませんが、間近まで近づくことができます。八角墳で、火葬骨を埋葬していたらしい。墳丘の現状は草が生い茂ってわびしい感じですが、内部の描写を見ると丁寧に造られていたことが窺えます。
どの説が正しいとかあるいはどちらも誤りだとかそういうことは私にはわからないけど、この扱いの差にはある種の滑稽さを感じる。まあ文武天皇にせよ誰にせよ、どちらの墳墓の被葬者も仏教徒だっとして、成仏(解脱)しているとすれば、気にも留めてないでしょうが。
キトラ古墳は、文武天皇陵の南東、南北に細長い丘の南側にある。古墳に向かう道の途中には、古代の田畑を再現しているらしい田畑が広がっている。んん?
道端に、奇妙な人影、いや人形が…斜面の下には村があった。
はっきり言って怖い。魔法で魂抜かれた村のよう…入り口の翁(?)だけは、のっぺらぼうに目鼻を陰影で表した仮面をつけているが、また怖い。
牛は目がくりっとして可愛い。遠目に見ればのどかな復元風景なんですけどね。
目と口はあった方がいいと思うな。
さて、キトラ古墳。
手前の銀色のオブジェは、キトラ古墳の地形の復元模型。自然の丘の斜面に丸い墳丘を築いていたことを示している。
近くに「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」があって、石室のレプリカなどを見ることができます。2016年開館というだけあって、展示方法も最新鋭という感じ。
壁画は高松塚古墳と違って男女群像はなく四神と獣頭人身の十二支像が描かれていました。高松塚と同様盗掘は受けていて、南の壁面に穴を開けられているのですが、壊された箇所がズレていたためにこちらの朱雀は生き延びることができたというわけです。盗掘は鎌倉時代だそうで、その際に使われた灯明皿と思しき土師器が展示されていたのが印象に残りました。そうだよなー真っ暗だもんなー
キトラ古墳の壁画は古墳内で原状のまま保存することは難しかったため、取り外してこの四神の館に保存されていています。壁画の現物の公開も例年されているそうなのですが、5月18日~6月16日(基本的には要事前登録)ということなので、今回の旅では見られません。残念。
ちなみに、キトラ古墳及び高松塚古墳の比較については、国営飛鳥歴史公園のホームページにわかりやすいまとめが載っています。
飛鳥駅付近まで戻ってお昼にして、午後は駅の東の方をちょろっと歩いてみる。
20分ほど歩くと、天武・持統天皇陵。鎌倉時代(こちらも!)に盗掘に遭い、そのときに確認された石室の記録も残っているため天武・持統陵に間違いないといわれているのだそうです。皮肉なものですね。
亀石。か、可愛い……天皇陵からは徒歩10分ほど。
亀石から10分ほど西へ歩いたところに、鬼の俎(まないた)&鬼の雪隠(せっちん)。俎のある位置から道路を隔てて少し下の方に雪隠がある。
現地案内板によれば、「鬼が霧で通行人を迷わせ、俎の上で料理して食って、雪隠で用を足した」という伝説があるそうですが、実際には墳墓の封土が失われ、石室の蓋石が分離して「雪隠」になり、残った底石が「俎」になったということだそうです。
俎が上で雪隠が下、たぶん30メートルくらいかなあという距離感も絶妙ですね。というのは置いといて、どうしてこうなったとか中の被葬者はどうなったんだとか、本当に不思議で、面白い。
更に西に10分ほどで欽明天皇陵。すぐ脇の吉備姫王墓に猿石というのがある。吉備姫は孝徳天皇や斉明天皇の母(=天智天皇や天武天皇の祖母)にあたります。
ここで、現地ボランティアガイドをしているという方に声をかけられる。明日(日曜日)の本番に備えてリハーサルに来ていて、いろいろと教えていただきました(私の知識ではよくわからんこともあったけど…)。
確かに左のは猿っぽく見えるけど…他は…
猿ではないよな…この彫の深く尖った顔立ちとか、異民族風だし。奥の方の人はわからんw
みんな、お腹に両手を当てている。性器露出のひとも。
この4体は、江戸時代に欽明天皇陵の南の水田から掘り出されたもの(現地案内板より)ですが、一時は天皇陵に置かれ、その後また陵外に出されて今の場所に収まったとか、高取城跡にある猿石もここから持ち出されたものだとか(写真見るとこちらは猿っぽい)、いろいろ複雑なようです。
こちらが欽明天皇陵(欽明天皇は推古天皇の父、聖徳太子の祖父)。欽明天皇陵についても異説があるようですが(もし違うとすれば欽明天皇と同じ陵域にあるとされる吉備姫王墓もまた違う場所ということになるのか…)
緑の墳墓と静かな池、遠くに霞む山の稜線が素晴らしい、懐かしいというのはおかしいけれど、飛鳥の昔は確かにあったんだと感じられるような、静かな場所でした。