立夏奈良紀行(4)~耳成山、そして飛鳥へ~

少し早めに起きて、まずは昨日の積残し(久しぶりに口にするイヤな言葉だw)の耳成山へ。そこから電車で橿原神宮前まで行って、雷丘や甘樫丘を見て明日香村に入り、飛鳥寺や石舞台古墳その他を歩いて回る予定。

 

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こうして観ると、整った、綺麗な形をしている。標高139.7mと大和三山の中で最も低い山。現地案内版によれば、もともともっと高い山だったのが、盆地の陥没で山の頭頂部だけが残り、単調な円錐形になっていて、そのために耳無山→耳成山と呼ばれるようになったとも言われているのだとか。つまり、人間の頭で言えば耳のような出っ張った部分がない、ということですかね。

 

 畝傍山と同様に耳成山も頂上への道がきれいに整備されていて歩きやすく、ハイキングというかウォーキングの人も多い。平日だし道行く人は皆シルバー世代。聞くともなしに「献体すると高野山に埋葬してもらえるんだって」なんて会話が耳に飛び込んできてしまう。聞きかじった話なのでこれが事実かどうかは知りませんが、さすがに格式高い感じだ。ウチの両親も献体することになってるけど、返ってきたら散骨してくれ、だもんな。まあ、人それぞれ。

 頂上から、香具山が見えた。

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さてこれでいちおう大和三山を制覇したので、明日香村に向かうことになるわけですが、スケジュールもおしてますし脚も昨日あたりから半分棒のままなので、橿原神宮までは電車でGO。

 

橿原神宮駅を背に、東に10分ほど歩くと、剣池。日本書紀にも記載が見られ、万葉集にも歌われている由緒ある池。後ろの森は孝元天皇陵だそうです。ちょっとくの字というか、陵を囲むように鉤型に曲がっている。

 

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 人影はほとんどないけれどそれだけに、なんだか万葉的な風情を感じるではありませんか!海のない奈良らしい、池と緑の丘の取り合わせは。

 

剣池から更に東に向かうと、いつしか明日香村に入る。平地を小高い丘や低山が幾重にも囲み、更にその向こうに蒼く霞む本当の山。藤原京もそうだったけど、奈良はどこへ行ってもこうなのだろうか。

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剣池からだと徒歩20分くらいで、雷丘(いかづちのおか)に着く。うーんこれがかの有名な雷丘かあ…丘というのも憚られるような、本当に小さい丘なので、『万葉集』の「 大君は 神にし座せば 天雲の 雷の上に 廬らせるかも」(巻3・235/柿本人麻呂)(持統天皇がこの丘に登ったときに人麻呂が詠んだ歌)という偉そうな歌とのギャップを感じてしまう。それともわざと大袈裟にした、ギャグというか機知に富んだ戯れの歌だったのだろうか、とさえ思ってしまう。

草に埋もれかけていましたが手すりがあって登れるようになっているので上まで登ってみたのですが、特に碑が立っているとか外が見張らせるという感じではない(持統天皇のころは見えたのかもしれないが)。

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 『日本霊異記』や『日本書紀』にもこの丘にまつわる伝承が載っているそうです。『日本霊異記』の雄略天皇、家臣の小子部栖軽(ちいさこべすがる)、そして雷神のエピソードはユーモラスでなかなか面白い。

 と思ったら、小子部栖軽ってあれか、養蚕のために「蚕(こ)を集めて来い」と雄略天皇に言われて勘違いして人間の嬰児(わかご)を集めて来ちゃった人か(『日本書紀』にあったこのエピソードは覚えていた)。集めて来た嬰児は栖軽が養育することになり、小子部の連もそれにちなんで賜ったのだとか。いずれのエピソードも、トリックスター的(ちょっとドジだけど)で興味深い人物です。

  

雷丘から徒歩30分くらいで、飛鳥寺に辿り着く。飛鳥寺の門前まで来ると、地図を片手にした小学生のグループが近付いてきて、「蘇我入鹿の首塚ってどこですか?」と訊いてくる。飛鳥寺の近くにあるという首塚には私も行くつもりだったので、「わからないけど…」と言いつつgoogleマップで探そうとすると、別の子が「あ、あれに似てる!」と指さした小さな石塔と、地図に書き込まれた首塚の形は確かにそっくり。

駆け出す子どもらの後をついていくと、塚の周りで大人のグループが「これが首塚なの?」と首を傾げていた。何しろ塚自体には何も刻まれていないようだし、標示板の類もない。ただ、お花などの供え物が少し置かれているだけだ。

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名門中の名門の嫡子として生まれ、権勢を恣にした人が、こんな何の墓碑銘もない、小さな塚に収まるとは…まあ、死んでしまえば仁徳天皇陵だろうが海に散骨だろうが、当人には関係ないわけだけどさ。大人たちが感慨に浸るなか、子供たちはこれが首塚だとチェックするやいなや、すぐに背後の飛鳥寺に突進していった。

 

飛鳥寺は蘇我馬子の発願により創建された日本最古の寺。境内に金堂の礎石が残っている。

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飛鳥大仏。推古天皇が鞍作鳥に造らせた日本最古の仏像。写真撮影OKだった。

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  アルカイックな顔立ちというのでしょうか。生硬でエキゾチックな魅力に惹き込まれます。

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 平安・鎌倉時代には飛鳥寺は火災にあって一旦焼失したのですが、銅製のこの仏も、当然溶けてしまうと思われたところ、溶けずに残っていたのだという(寺の住職(たぶん)の方の解説による)。補修の跡があちこちに見える。

 

聖徳太子孝養像(室町時代)。端正で繊細な木像。太子16歳のとき、父・用明天皇の病気回復を祈願する姿(パンフレットより)、ということなので、用明天皇が疱瘡にかかって結局亡くなったときの話ですね(この辺は『日出処の天子』(山岸涼子)で覚えた)

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他にも仏像か収蔵品が展示されていて写真もOKだし、たまたまなのかもしれないけど解説も聞けたし、結構充実した気分で寺を後にする。ちなみに、蘇我入鹿の首塚はあそこです、という案内も寺の中にはあった。

 

 

その後はぶらぶらと石舞台古墳を目指す。

途中、「犬養万葉記念館」があった。入り口には先生人形(か、可愛い…)

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故犬養孝氏については万葉集研究家ということくらいしか知らなかったのですが、面白かった。一番印象に残ったのは、万葉かるた。

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お正月のかるた遊び用に、昭和24年に学生たちと一緒に万葉集からセレクトしたかるたを作ったのですが、敗戦間もない時代のこと、紙も貴重品だったため、なんと、タバコの空き箱を利用して作ったのだそうです(「光」は先生愛飲の銘柄、「憩」は学生が喫ったもので、それを二重に貼り合わせて台紙を作成)。

小ぢんまりしているけれど、先生と万葉集への愛溢れる記念館でした。

 

明日香村中心地の街並みを抜けて南に更に歩くと、来ました、石舞台古墳。

7世紀初めごろの造営とされ、蘇我馬子の墓ではないかと言われる古墳です。石積みだけが目立ちますが、古墳の形としては方墳。石積みは、墳丘の土が剥がされて(理由については定説はない模様)中の石室部分がむき出しになったものなのだそうです。 

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花が供えられている。そうだよね、お墓だもんね。正面から見ると安定感ありそうですが、いろんな角度から見ると結構怖い。

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石室に入ってみる。結構広い。幅約3.4m、奥行き約7.8mとのこと(現地案内版より)。高さは4~5mだろう。これまで大丈夫だったのだから大丈夫だろうとは思いつつも、上を見上げると不安になり、早々に脱出。

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それにしても、なぜ盛り土が剥がされ、石室だけが残されれたのだろう?やはり気になる…根拠のない憶測は無意味ですけど、いろいろ考えてしまう。

 

今日はわりと平坦な道を歩くことが多かったけど、それだけにあちこちに散らばる丘、その向こうの山々がどこに行っても視界に入ってきて、古代の大和の人々も、こういう囲まれたというかくるまれた感じで生活していたのかな…と思いながら、ひたすらてくてくしてました。慣れたのか、階段が少なめだったせいなのか、大臀筋はかなり回復してきた模様。明日も無事でありますように。

 

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