"The Silver Chair" by C.S.Lewis(銀のいす/C.S.ルイス)

Kindleで購入した電子版ナルニア国ものがたりも4冊目。電子版は Pauline Baynes の挿絵が小さいけどカラーで掲載されてるのがいいですね。

8日かかった前作 "The Voage of The Dawn Treader" (朝びらき丸 東の海へ)に比べるとかなりハイスピードで読めて、4日で読了。我ながらずいぶんリーディング力が向上したものよ……と言いたいところだけど、たぶん、シチュエーションが違うが故の、使用されてる語彙の差によるのでしょう…

「朝びらき丸東の海へ」は行方不明の7貴族を探して未知の海を巡るカスピアン王の旅にルーシーたちが飛び込み参加する、というストーリーなので必然的に航海用語やナルニア世界の人々が使う古風な言い回しが多かった。これに対し「銀のいす」は、ユースチスとクラスメイトのジル・ポール、そして沼地で暮らしていた沼人・泥足にがえもんの3人だけで北の荒れ野を行く旅がメインなのでそこまででもない。

 

改めて(原書はで初めてだけど)読んでみると、やっぱり悲観主義者の湿った毛布の(でも揺るぎない心の)泥足にがえもん(Puddleglum) はサイコ―だ!魔女に啖呵を切るところなんかカッコ良すぎ…という思いは変わらないけど、そのぶん人間の子どもたちの活躍度合いがちょっと物足りない。  

ナルニアシリーズの他作品では、主人公である少年少女がわけがわからないながら必要に迫られて自分で道を選び取って進んでいって、結果として大きな使命を果たすんだけど、本作ではのっけからアスランが登場して目標を提示し、そこに至る道標も教えているのでどうしても「やらされてる」感がぬぐえない。ユースチスも前の冒険でだいぶいいやつに、そして逞しくもなってるんですが、やっぱまだちょっと頼りなくて(まあナルニアで長年王様やってたペベンシーきょうだいとは比べられんけど)。もちろんその主体的でない感じが根底では道標を見逃してしまう失敗につながっていて、散々間違ってギリギリ土俵際で…というのがストーリーの肝ではあるんですけど。

 

でも、火の川と生きた宝石の森の、地底の国ビスムの異様な魅力(ダイヤモンドジュースは飲んでみたいw)、地上に出たときの冬のナルニアの美しさ楽しさはすばらしい。あと、全体的に寒いので、暖かいごはんが身に染みる~巨人族のところでの豪華な食事やナルニアに戻ったときの夜中のあつあつのソーセージやら何やらはもちろん、出発前ににがえもんがご馳走してくれたウナギ汁もなかなか ♪ 

 

発表時点でいえば全7冊の折り返し点に当たり、時系列的にはラスト前に当たるだけあって、今後の伏線がいくつか出てくるのも興味深かった。

ナルニアに到着したその晩、ケア・パラベルでの宴で語られた、コル王子とアラビス、そして馬のブレーにまつわる物語や、魔法から解放されたリリアン王子が脱出の途中で口ずさんだ鉄拳コーリンの勲をうたった古い歌は、次作『馬と少年』につながるものだし、地底に眠っていて「この世の終わりに目をさます」と言われる時の翁や様々な獣たちは最終巻『さいごの戦い』に再登場する。

また、前作でルーシーはもう二度とナルニアに来ることはない、あなたの世界でやっていかなくてはならない、そこにも私はいる、というようなことをアスランに言われます(異世界訪問ファンタジーとしては穏当な発言です)。しかし今作、アスランの山でカスピアンの復活を見たユースチスとジルは、「次に会うときはここ(アスランの世界。ありていに言えば、天国であり、あの世)にとどまることになる」と言われる。第2作のピーターとスーザン、前作のルーシーとエドマンドの「卒業して現実世界へ」という流れがここで切り替わり、『さいごの戦い』に向かっていくのです。

逆に伏線の回収としては、前作「朝びらき丸東の海へ」でルーシーたち(私たち)の世界が丸いのだと知ったカスピアンが一度行ってみたいと羨ましがる場面がありましたが本作のラストでは一応望みが叶います。しかし…ルイスは本当に学校(の少なくともある一面)が嫌いだったんだなあ(笑) 進歩派の校長がラストで解任されてInspectorになって、そこでもダメでParliamentに送られてそこで幸せになったてのも、現場から遠く離れた空理空論の場で、ようやく何とかなったという皮肉なのかな。いまだによくわからぬ…

 

あと、昔読んだときはするっと読み流してましたが今読み返すと、魔法で虜にしたリリアン王子にナルニアを攻撃させ、リリアンを通じてナルニアを支配ようという魔女、夜見の国の女王の計画は胸が悪くなるような残酷さ、狡猾さ。もうちょっと早くトンネルが開通していたら、それとは知らず父カスピアン王やトランプキンたちに刃を向けていたわけだから…同時にこれは、「ナルニアの王はアダムの息子、イブの娘でなければならぬ」という定めの裏をかこうとする企みでもあったわけだ。リリアンが王位につくのであれば、形の上ではある意味まったく合法ということになるもんね。アダムの息子なのはもちろん、正当な王位継承者でさえあるんだから。

この魔女ですが、瀬田貞二訳では「ナルニアに長い冬をもたらした白い魔女と同じ者です」なのですが、原文は"the same kind as that White Witch who had brought Great Winter on Narnia ……"となっているし、その直後でドワーフの長老のセリフとして "those Nothern Witches ~"というのもあるので、同類ではあるけど別人だというのが正確なのではなかろうか。じっさい、白い魔女ジェイディスの冷たく権高で、苛烈な美しさと、夜見の国の女王の魔女の毒を秘めた甘やかな優美さは、人格としてちょっと違う気がする(ジェイディスはハルファンの巨人族とも、僕にこそすれ、友達にはならない感じがするよ…)。「悪」が別々の形をとって顕現したものと考えれば、根っこは同じということになるわけですが。

 

 

読み返すと新しい発見がある本てイイな。子ども向け大人向けを問わず。ただ、”The Last Battle”は正直あまり読み返したくないのだ…

 

(注)記事中の名前の日本語訳は、瀬田貞二訳に依っています。

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