The Horse and his Boy(『馬と少年』(ナルニア国ものがたり5)/C.S.ルイス)を読み返して思い出したことなど

1年半ほど前から何とか続いている「めざせ100万語!多読で学ぶSSS英語学習法」で久しぶりに再読(って言っても、原書は初めて)。

うーんやっぱり面白い!アラビス可愛い ♪ 私の英語力だとある程度長さのある話を読むのはかなり疲れるので、どうしても1日1章30分とか、そういう読み方になることが殆どだったのですが、後半に入ると疲れながらも先が気になって(ストーリーは知ってるのに!)止められなくなってしまいました。恥ずかしながら、わからない単語も結構多いんですけど、そこは訳文の記憶でカバー(笑)

 

ご存知の方には言うまでもないことですが、ナルニア国ものがたり(全7冊)は、私たちの住む世界からさまざまな経緯でナルニアを訪れた人間(アダムの息子、イブの娘)たちがナルニアと関わり、偉大なライオン・アスランに導かれて自分の果たすべき使命を成し遂げ、元の世界に帰還する、というのが基本的なパターンです。

しかし5冊めに当たる本作は毛色が違っていて、ピーターを始めとする兄弟姉妹4人の王の統治時代の出来事で、私たちの世界との往来なくナルニア世界だけで完結する唯一の物語。主な舞台も大国カロールメンと砂漠だし、主人公シャスタもナルニア人ではない。王となったスーザンやエドマンドたちも登場はしますが脇役で、そういう意味でも番外編的な作品です。

この風土から服装から、いかにもアラビア風のカロールメンは、対外的には好戦的な領土拡大志向、対内的には専制君主による圧政と厳しい身分差別と、かなり酷い描かれ方をしていて現在の視点からすると(特に昨今のご時世では)ちょっとヤバい感じなんですが(もちろん修正しろとか言うわけじゃありませんが)、それだけに、宮殿の華麗さゴージャスさ、ごみごみした街の汚さ、王都の雑踏と無人の砂漠、昼間の厳しい日差しと冷え冷えとした夜…明暗がくっきりして、ひとあじ違うエキゾチックな味わいがある(味わいといえば、コリン王子と間違えられたシャスタがありついたカロールメン風の豪華な夕食!本当に美味しそうなんだよな…)。流血の戦闘場面もありますが、ラバダシとの闘いの収め方などは作者も肩の力を抜いて、楽しんで書いていたんじゃないかな。しかしラバダシはあんなことになっちゃって、よく廃嫡されずに王様になれたな。彼にとってもナルニアやアーケン国にとっても有難いことでしたが。

 

子供の頃、初めて読んだときは牡馬ブレーと牝馬フインが別々の相手と結婚した、というラストを読んでなぜだろう?と不思議に思ったものですが、今読み返すとなるほどフインはブレーには勿体なさすぎる(笑)フインの方がずっと聡明だし、かといって性格は控え目でやさしいから、尻に敷いたり表向き立てて裏では思い通りに操縦…なんでこともできないだろうし。そもそもブレーに惹かれる要素も(申し訳ないけど)あんまりないし。

シャスタとアラビスはエピローグ後に結婚しましたが、シリーズの中で主人公たちが結ばれた事例はこれだけですね。ペベンシーの4人はきょうだいだし、ルーシーと従兄弟のユースチス、ユースチスとクラスメートのジル、始まりのときのディゴリーとポリーも冒険を通じて気心知れた仲、ナルニアという絆で結ばれた友にはなったけど、そこまで。(そういえば、第6作『魔術師とおい』を読んだ時も、「ポリーとディゴリーは結婚しなかったのかー」と思ったものだった(第1作『ライオンと魔女』でディゴリーは独身で登場していたので))。

これも、改めて今考えてみると、『さいごの戦い』で彼らが再登場することを考えれば、そういうのは一切不要だったのだとわかる。あのとき7人はそれぞれがナルニアとの絆を元に再びナルニアに顕現したのだから、それを超える2人だけの強い絆はむしろ邪魔なのだ。

そして7人という数。この7という数を考えると、やはりスーザンが脱落するのは、物語的には必然だったのだろうか。ルイスはいつからそのつもりだったのだろうか。スーザンは特別好きではなかったけど(作者ルイスもいつの頃からか、女性のあまり好きじゃない面をスーザンに仮託していたようだ。ラバダシにも引っ掛かりそうになったのは話の都合上仕方ないとしても)、公平に見ればかなり残酷な扱われ方をしてる…。たぶん彼女もいつか「まことのイギリス」に行くことになっただろうけど、「まことのナルニア」はもう行くことも見ることもできなかったのだろうな…。

と、ずっと思ってきたのですが。ここまで書いてきてふと思った。

 

長い人生の中で、一度はガラクタとして押しのけた思い出が、再び大切な宝物として輝きを取り戻すこともあるだろう。まして、ただ一人生き残ったスーザンにとって亡ききょうだい達との一番の思い出は、ナルニアでの冒険でしかあり得ない。思い出すことさえできれば、ナルニアの最期に立ち会わなかった過ちも、まことのナルニアにおいては赦され、受け容れられるのではないだろうか?

 

なーんて、久しぶりに読んだら次々にいろんな思いが蘇ったり新たに出てきたりで、これはもう、通しで再読(今度は原書で)読むしかないな!「めざせ100万語」も今は70万語ちょっとだから、あと6冊読めば100万語にかなり近づきますし。

 

ちなみに、私が持っている翻訳はもちろん大昔に岩波のハードカバーで出た瀬田貞二先生訳なんですが、調べてみると、今は新訳がいろいろ出ているんですね。角川つばさ文庫とか光文社古典新訳文庫とか。挿絵が変わってしまっているのはちょっと残念ですが(特につばさ文庫のアニメ絵には目がチカチカする…チラ見したら訳文自体は普通でホッとしましたが)、機会があったらこちらもどういう訳になっているのか見てみたいです。アスランの二人称がどうなっているのかとか(私は瀬田先生の「あんた」多用が実はすごく好きなのだ)。

 

 

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