ギックリ腰で急遽延期となった大河ドラマ館訪問。9日閉館の直前になってしまいましたが、ようやく行ってきました。
やっぱり一番おおーって思ったのはドラマで出てきた衣装や小道具の展示ですね。本物が展示されてる美術館や博物館とは違って、ほとんどすべて写真OKなので撮りまくりでした。
最終形態・ブラック義時あーんど
ひしゃげた小四郎。前からは見えないけど、ボロボロです。
老いて疲れた…でもまだ…という妄執
巻狩りのときの頼朝と小鹿ちゃん(製作・八田殿)。近くで見ると頼朝の装束、アウトドア用とはいっても豪華だー
第三代鎌倉殿・実朝の装束は白が基調。
全面に鶴の模様。よく見ると袖周りの紐?は前だけ紫で後ろに回る部分は白く染めてあるのだった。
(伝)源義朝公されこうべ
頼朝はされこうべの真実をもちろん知っていたが頼家には教えていなかった。まだ若すぎると思っていたのか、あるいは生まれながらの鎌倉殿である頼家には、創建期の怪しげだったり後ろ暗かったりするあれこれは必要ないと考えたからか。結局頼家も実朝も建前しか知らされず、義朝されこうべの「物としては虚、そこに集まる想いだけが真」を知るのは、義時や政子ら北条だけになってしまった。象徴として祭り上げられることの表と裏、というのは鎌倉殿としての源氏にも共通する話だったのだが…
和田殿のイラスト入り戦況報告
上総介広常の下手くそな願文(泣)頼朝よーく見とけ!
全成の呪詛人形セット、後鳥羽上皇の御手による側近の似顔絵、梶原景時弾劾状
兼子様は劇中でこの絵を見せられたとき、怒って破ってしまったので(そりゃ怒るよね…)もちろん破られたまま展示されている。
りくさんの華麗なカットもこのとおり。
フォトスポット。さすがにこれは恥ずかしいのでパス。
ここ以外にもメインキャラの写真が立ってるコーナーがあちこちにあるので、並んで写真を撮ることもできます。
写真不可のコーナーの中では、ミニシアターで流れるインタビューや製作裏話なども面白かったけど、個人的には御所のジオラマの前にスクリーンがあって、スクリーンで説明が流れるのに合わせてジオラマのその部分が光るのがわかりやすくて良かった(写真不可ではありますが、別のコーナーでやってるゲームの特典で、ジオラマの写真がDLできるようになってます)。
この三連休まで(~1/9)までなので、興味のある方はお見逃しなく!
大河ドラマ館訪問の前後は、ドラマ関連の地を中心にちょっと歩いてみたのでその記録も。
鎌倉駅到着時。都心のラッシュに巻き込まれないように、まだ暗いうちに家を出たので、まだ正真正銘の朝。
殆どどこも開いてないはずなので、まずは「御成り通り」を南下して海岸へ向かう。
通りかかった江ノ電の駅は、「和田塚」。ということは…
あった!「和田一族戦没地」の碑と「和田一族の墓」。明治時代に大量の人骨が発見されたのだそうですが、実際に和田一族の墓だったのかはわからないようです。
由比ガ浜。敗死した和田一族の首実検が行われたという浜も、今は平和そのもの。
実家で見る冬の日本海はたいてい大荒れなので、こんな明るく青い冬の海はまず見ない。いいなあ…
次は小学校の遠足以来の鎌倉大仏へ。
大仏は高徳院の本尊ですが、お堂の奥深くに大切にしまわれているご本尊ではなく、屋根も囲いもないところにいらっしゃる。
まだ朝の寒さの中、居心地がいいのだろうか?と思いながら見ているとやがて、
次々と出勤。
小学校の遠足で見たときは、ただただ大きくて鈍重な印象しか受けなかったのですが、改めて拝見すると…
す、すみませんでした~~~!!
としか言いようがない。形容する言葉は思いつきませんが、素晴らしい仏像だということは私にも感じられます。
本来は中に入ることもできるそうなのですが
現在は休止中。残念。
お次は源氏山公園。
はあはあ。うーん山だ。
このときまだ午前中で、大河ドラマ館も鶴岡八幡宮もまだだったので、この先へばらずに行けるかちょっと不安になる。
源頼朝像。なかなかシブイ。
山を降りて空を見上げると、トンビ(ピーヒョロ言ってたから、たぶん)がくるりと輪をかいていた。やっぱ自然豊かだな~そのぶん足腰にはキツいけど。
鶴岡八幡宮。大河ドラマ館もこの境内にある。
初詣するつもりはなくて、ちょっと見るだけのつもりだったのですが、なにしろこんな感じなので
ステイステイステイ、はいGO!(ロープを上げる)
列に並んだ流れで結局参拝することに。あっでもそーいえば願掛けするの忘れてた笑。ま、たまにはそういう年があってもいいか。
そしてこのしめ縄の中が、実朝暗殺のときの大イチョウ(が2010年に倒れたあとの若木)
まだ暗殺者が隠れるには足りませんが。
こっちは原木の幹の一部
大河ドラマ館見学の後は、お墓探訪
ま、またのぼりか…でもこの階段を上がった先に、まとまってあるらしい。
頼朝の墓
義時が祀られていた法華堂の跡
「鎌倉殿の13人」ラストのさらに先、三浦義村の死後に滅亡した三浦一族を供養するやぐら
人気がありありとわかる大江広元の墓
やぐら形式の墓は平地の少ない鎌倉故のもので、実朝と政子の墓もそうらしいのですが、他の時代の権力者たちの豪華な墓をあれこれ思い起こすと、やっぱり意外でもあるし、無常という言葉が頭に浮かぶ。逆に考えれば、死んだ後なんてなるようにしかならねーんだから、あれこれ思い悩まず生きようぜ、てことでもあるんだけど。
これだけ歩くとかなりへろへろで、今日はこれで打ち止め。近いうちにまた来てみたい。朝早く出れば座れるし都心の混雑も避けられて、意外とラクなのが有難い。春とか初夏とかなら、朝早いのもつらくないだろうし、桜や新緑の季節がいいかなー。