地底旅行(ジュール・ヴェルヌ/グーテンベルク21)

『新・地底旅行』(奥泉光)が面白かったので、原作である本書も読んでみたいな~と思って探したら、地元の図書館の電子書籍部門で見つけたので早速借りてみました。

 

1864年刊行の古典的作品ということで、もっと硬くて古色蒼然としたものを想像していたのですが、面白かった!

 

地質学者リーデンブロック教授とその甥で助手を務めるアクセル青年は、16世紀の錬金術師が残した暗号文を頼りに、アイスランドのスネッフェルス火山の火口から地球の中心を目指す旅に出る。アイスランドで地元の案内人ハンスを加え、一行は火口から地下に通ずる(はずの)洞穴を下っていく。果たして地球の中心とは、アクセル青年が考えるとおり、生きて到達することなど到底かなわぬ20万度の高温なのか?それとも、教授が信ずるとおり、地球の熱はむしろ表面の燃焼によるもので、内部はそれほどの高温ではなく、錬金術師サクヌッセンムが到達したという「地球の中心」に辿り着けるのか?しかしその道はもちろん一本でもまっすぐでもない。疲労や水不足その他の苦難に悩まされ、彼らがようやく辿り着いたのは…

 

地底行のメンバーは3人。

地質学の権威だが頑固で変人で、マグマのようなエネルギーでもって地球の中心を目指してひたすら突き進んでいくリーデンブロック教授。

気乗りはしないながらもそのエネルギーに引きずられて(想い人のグラウベンに背中を押されたのもあるが)危険な旅に同行する、優秀な好青年だがちょっと頼りない甥っ子のアクセル。

アクセルは両親を亡くしていて、教授の家に同居して研究の助手も務めている。更には教授の養女でこれまた同居のグラウベンとは教授の知らないうちに恋仲になってたりして、つまりアクセルにとってリーデンブロック教授はいろんな意味で頭の上がらない存在。しかも教授はせっかちで頑固でいつ爆発するかわからない癇癪持ち…となれば、2人の関係は専制君主と奴隷のようになっておかしくないのだが、互いに肉親として、そして師弟として愛情を抱いていることも感じられ、微笑ましい関係になっている。

そして3人目、アイスランド人の案内人ハンス。危険で困難な仕事を恐れも尻込みもせず、かといって知的好奇心や使命感を窺わせることもなく、ひたすら淡々とこなす。雇主である教授にあくまでも忠実で、反抗心や強欲さはまるで見せないが、卑屈さや盲目的忠誠もなく、地上に戻れるかどうかも定かでない異様な状況にあっても決まった日に決まった報酬をきっちり受け取る。余分な感情の起伏をすべてそぎ落とした巌のような、あるいは前半で描写されている、荒涼としたアイスランドの土地そのもののような男。アクセルたち他所から来た人間と、地底世界(=地球の驚異)の間に立つ存在のようにさえ見える時さえある。

 

地底世界の驚異と圧倒的な自然の力、それに翻弄され、幾多の危険や困難に振り回され(すぐにへなへなしたり倒れたり迷ったりするのは決まって一番若い、語り手のアクセル青年なわけだが…)、それでも前に進もうとする人間たちの姿は、空想科学小説の古典の名にふさわしい。もちろん地球空洞説は現在の学説では否定されてしまっているわけだけど、学説上の立場が異なる教授とアクセルが、互いに主張は譲らず、地道な行軍と記録を続け、事実によって真実を確かめようとする姿勢も(それが成功したか否かは別として)好ましいものだ。

惜しむらくはラスト近く。

こういう秘境探検モノだと、どうしても奇怪な生物やデミ・ヒューマンとの戦闘や交流での盛り上がりを予測(期待)してしまうが、本作ではそれを期待すると肩透かしを食らう。もちろん火口におりてから地上に出て来るまでのすべてが大変な冒険には違いないのだが、地底世界との関係でいえば彼らはあくまで通りすがりの傍観者で、その意味では『地底「旅行」』というのはまさしくその通り。そこが物足りないと言えば物足りない。ただ、裏を返せば空想のままに筆を滑らせるのでなく、あくまでストイックに、科学的であろうとした潔さの結果だとも言えるのかもしれない。

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