オッタ―モール氏の手(トーマス・バーク/『黄金の十二』ハヤカワ・ポケット・ミステリ所収)

有栖川有栖のミステリ・エッセイ集『ミステリ国の人々』での紹介文が気になって、図書館で借りてきました。1931年に発表された短編ですが、ホラーまではいかないか、サイコ・スリラー…ということになるのかな。犯人捜し(いやもちろん、オッタ―モール氏なわけですが)としては現代の目から見ればありふれているのかもしれないけど、それは全然問題ではない。恐怖系は苦手な私ですが、惹き込まれて読みました。

 

 

冬のロンドンの街。一日の勤めを終えて家路を急ぐ男の背後から、ひたひたと迫る死の影。何も気づかぬままいつもと同じように、妻と暖かい夕食が待つ我が家に帰り着いた男が、やれやれと帽子と外套を脱いだとき、玄関ドアがノックされ……

 

この夫婦殺害(妻もやられた)で始まった扼殺事件は、子供、警官と相手を選ばず続き、手がかりも皆無。神出鬼没かつ無差別な魔の手にロンドン中が恐怖に陥る。更に次の事件では、殺人現場の家の中に確かに追い詰めたはずなのに、踏み込んでみると被害者家族の死体しかない。

そんな中、事件を取材していた1人の若い新聞記者が、取りとめのない連想から、ある結論に辿り着くのだが…

 

 

冒頭に置かれた最初の犠牲者の人生最後の家路は、サスペンスに溢れているだけでなく、彼自身や家への道すがらの街に住む世間並みかそれ以下の人々の生活への愛情も感じられ、それが末路はわかっているにもかかわらず「逃げて逃げて~」というサスペンスや直後の「ああ…」という落胆を強めていると思う。

また、全体を通じて乾いたユーモアをたたえた筆致で描かれていて、それは随処で出てくる犯人の殺人に対する意識についても例外ではない。その軽さというか、何気ない自然な気持ちが妙に説得力がある。

中でも、殺人の後でずっと平穏な人生を送れてしまう犯罪者たちの心理を指して、「(前略)おそらくわれわれが子供の時分にやったバカげた些細な罪を考えるのと、同じような気持ではないかと想う。(中略)われわれは、その愚かな小人(しょうじん)であった当時を振り返って、知らなかったのだからとそれを許すのである。」というくだりにはハッとさせられた。殺人に対して良心の呵責を感じない、という理解不能な心理がぐっと身近に引き寄せられる、目から鱗の、そして自分自身が恐くなる喩えでした。

ラストの述懐とタイトルの繋がりも不気味で良い。機会があったら是非読んでいただきたい作品です。

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