懐かしき、名前をたどれば

(ネタバレ注意)『ナイフをひねれば』(アンソニー・ホロヴィッツ/創元推理文庫)のレビューではありませんが、本書の内容に触れています。未読の方は本記事を読まない方がいいです。ご注意ください。

 

他にもいろいろ順番待ちの本があったのと、なによりホロヴィッツ自身が殺人事件の容疑者となる、ということもあって後回しになっていた『ナイフをひねれば』。そう、私は主人公やその身内に容疑がかかるパターンは落ち着かなくて苦手なのだ。

とはいえ、そりゃホロヴィッツ様のこと、読み始めれば止まらなくなるわけで。冒頭の登場人物一覧を開いたときに感じた微かな違和感もいつの間にかどっかに行っちまうくらいに。

 

しかし…

「チリアンっていうと、ウェールズの名前ですが…」(ホーソーン)

「チリアンていうのは”優しい"って意味でね」(チリアン・カーク)

というくだりにえええっ!と思わず手が止まる。

 

チリアンときいて私が真っ先に思い出すのはもちろん、C.S.ルイスのナルニア国ものがたりの最終巻『さいごの戦い』に登場するナルニア最後の王チリアン。ルイスはアイルランド生まれのイギリス人でキリスト者としての信仰に篤かった人ですが、ナルニア国ものがたりはキリスト教的信念を貫きつつも異教的なファンタジー要素も満載だし、人名がウェールズ語由来でもおかしくはない。

もしかして…と思って”The twist of a Knife” 原書の登場人物紹介をググってみると、やはり"Tirian"で、Tirian王とスペルも同じであった。

更に読み進めていくと、作中に『ライオンと魔女』やブレーという馬が登場したりして、「こ、これは…」となり、最後の種明かしにつながっていくのですが、それによって一番最初に感じた違和感「なぜティリアンではなくチリアンなのか?」も分かった気がする。Tirianを今、ふつうに訳せばおそらくティリアンになるだろうが、瀬田貞二訳のナルニア国ものがたりを読んで育った世代(20代~50代くらいの人)にとってはTirian 王はチリアン王だから、彼から名前をとったTirian Kirke もチリアン・カークでなくてはならないのだ。

瀬田先生*1がどうしてチリアンと訳したのかはわからないけど、50年以上前(1966年)は、今よりずっと欧米の文化は馴染みが薄かったし、ましてや子ども向けだし、ということで、できるだけ平易な発音に合わせたのかも…そういえば最近新訳が出ていたんだよな、と気になって調べてみると、光文社古典新訳文庫(土屋京子訳)でも、角川つばさ文庫 (河合祥一郎訳)でも、ティリアン王になっているようだ。30年後くらいに「ナイフをひねれば」の新訳が出るとしたら、チリアン・カークもティリアン・カークになってるんだろうな…

 

ところで、作中のチリアン・カークのセリフ「チリアンていうのは”優しい"って意味でね」というのは本当なのでしょうか。ウェールズ語のオンライン辞書で探してみても出てこなかったのですが…

「”優しい"って意味でね」が本当だとするなら、逆側から調べられるのでは?

と思い当たって、English⇒Welshで"kind"を入れてみると、いくつか出て来た形容詞の中に、"tirion"というのがあるじゃありませんか!tirion から逆引きしてみると、kind, gentle, tender などの意味が並び、どうやら当たりっぽい。

ざっとググってみた感じだと、Tirionそのままでもジェンダーニュートラルな名前として使うらしいのですが、どちらかというと女の子の名前に多いようですし、男の子っぽくアレンジされているのかも。ナルニアには、チリアンの先祖にあたるカスピアンやリリアン王子をはじめ、「アン」で終わる男性が多いですしね。

してみると、「優しい」という意味は確かにあったんだな…

 

 

ラスト近く、ホーソーンに指摘されるまで気付かなかったけど、チリアン・カークのカークもディゴリー・カークから取ってるんですね(苗字忘れてたよゴメンねディゴリー)。チリアンはもちろんナルニア最後の王であり、ナルニアの最後を看取った人。そしてディゴリー・カークはナルニアの始まりを見届けた人。

そう考えると、チリアン・カークというのは、ウェイン・ハワードの夢の始まりであり、終わりであったということでもあるのかもしれない。

*1:先生は浦和のご自宅で児童文庫を開いていらして、私もよく利用させていただいていたので、先生と呼ばせていただく。

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