『なぞりがき百人一首』(手本・鈴木啓水/ユーキャン学び出版・自由国民社)をやってみた

年明けから始めたボールペン字独習も、そろそろ半年。実用的な練習帳だけだとつまらないから、と名文なぞりも並行して始めたのですが、練習帳は2冊もやって飽きたので(上達はしてないけど)打ち止めにして、ここ最近は標題の本で百人一首のなぞり書きだけやっていました。

 

100番・順徳院の

ももしきや 古き軒端の 

しのふにも

なほあまりある 昔なりけり

に到達したのは昨日でしたがそれで終わりではなく、ページをめくると「好きな一首を書いてみよう」と空欄が4つもあった💦

一首×4回なのかもしれないけど、絞り切れないので4首×1回にすることにした。せっかくなので元々好きだった歌ではなく、今回初めて意識した歌に絞って振り返ってみると

 

46番 曽禰好忠

由良の門を 渡る舟人

かぢを絶え

ゆくへも知らぬ 恋の路かな

 

 

79番 左京大夫顕輔

秋風に たなびく雲の

絶え間より 

もれ出づる月の 影のさやけさ

 

 

81番 後徳大寺左大臣

ほととぎす 鳴きつる方を

眺むれば

ただ有明の 月ぞ残れる

 

 

87番 弱蓮法師

村雨の 露もまだひぬ

真木の葉に

霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

 

と、美しくもどこか淋しい歌ばかりになりました。

そこで、ちょっと気分を変えて、番外編。

 

75番 藤原基俊

契りおきし させもが露を

命にて

あはれ今年の 秋もいぬめり

これは何となく覚えていた歌。「約束してくださった言葉をたよりにしていたのに、今年の秋もむなしく過ぎてしまったようです…」という感じの恋の歌だと思い込んで、あまり気に留めてなかったのですが、今回あらためて解説を読んでみたら…

 

僧侶だった息子を、維摩会の講師(←僧侶としての出世コースの第一歩だったらしい)に選んで欲しくて藤原忠通(鳥羽~後白河時代の関白)に頼み込み、忠通も当時よく知られていた歌の一節を使って「任しといて!」という返事をしてくれたのに、結局選ばれず……という、子の栄達を願いながらそれが叶えられない親の恨み節なのだという。

wikiを見ると二人は元を辿ればともに道長の血筋、年齢は基俊が40歳近く上ながら官位は従五位上にすぎず、それでも歌壇では主導的な立場にいたというから、もしかすると忠通にとってはめんどくさい人だったのかもしれない。

子や孫の栄達というのはイエの繁栄において最重要だったはずだから、現代のような我が子可愛さだだけではなく、その分切実だったんだろうな。でもその一方で、これだけ身分差あってこういう歌を詠めたってことは逆に、半分ジョークというか、切実な願いを機知に包むのが、当時の作法だったのかな。

 

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なぞり書き練習なんて意味あんのかって始めた頃は迷ったりもしたけど、続けてみるとおもしろい。肝心の字の上達に関してどうかと言われると、前よりは少しはマシになった…ような気もするけど、どうかな…

 

明日からは「脳がみるみる若返る!なぞり書き・音読 名作文学」」行きまーす!!

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