階級名に見るネロス帝国人事の基本理念(『超人機メタルダー』)

 何の気なしにyou tubeを覗いていたら、東映公式に『超人機メタルダー』の序盤が何話かあったので久しぶりに見てしまいました。やっぱり面白い!特に敵方のネロス帝国は尋常でないワクワク感がありますね。

凱聖(がいせい)、豪将(ごうしょう)、暴魂(ぼうこん)、雄闘(ゆうとう)といった上位クラスの階級名がまた素晴らしくて(※雄闘より下は爆闘士、激闘士…と〇闘士で統一されている。この画一的なネーミングも雄闘以上との格差を感じさせてなかなか良い)、以前から大好きだったのですが、今回観ていてふと、字面のカッコよさだけではない、深い意味があるのではないかと思いました。

ポイントは「雄闘」の上に「暴魂」を、「豪将」の上に「凱聖」を置いたこと。

 

まず「雄闘」と「暴魂」。

「雄々しく闘う」と「暴れる魂(=荒ぶる魂)」ということでしょうが、「暴」には「暴力」「暴発」「暴君」といった制御しがたい、しかも爆発的なエネルギーのイメージがつきまといます(メタルダーのライバル役として、特別に力を入れて描かれている暴魂トップガンダーが協調性のない一匹狼的存在であることもイメージ形成に一役買っている)。

ネロス帝国はピラミッド型の階級組織で、帝王ゴッドネロスの命令だけ聞いていればいいというものではなく、軍団内で上位の者には従わなくてはなりませんし、軍団間で協力しての作戦行動もありますから、自分勝手で協調性のない奴は困りものであるはず。にもかかわらず、「暴魂」が「雄闘」の上に置かれているところに、取り組み姿勢より突き抜けた才能が重視される、少々はみ出し者でも実力さえあれば厚遇される、というネロス帝国の実力主義が窺えます。

次に「豪将」と「凱聖」。

「豪」は「強豪」「富豪」など、強い、とか並外れた、という意味がある。「将」はもちろ「大将」「将軍」で、集団を統率する者、という意味があります。

ですから語義的には「豪将」が軍団長でもまったくおかしくない。

ところがネロス帝国は「豪将」の上に「凱聖」を置き、これを4軍団の軍団長ポストに充てています。

「凱」は訓読みなら「かちどき」。「凱歌」「凱旋」など、戦いでの勝利と結びついた語です。そして一見場違いな「聖」には、「知徳のすぐれた人」「その道の第一人者」という意味がある。

つまり並べてみると、豪将が「強い将軍」であるのに対し、凱聖は「勝利」と「能力だけでなく人格的にも優れた別格のトップ」という意味合いがミックスされた存在である、ということになります(もちろんこれは、あくまでネーミングのコンセプトであって、実際の凱聖たちがすべてそうである、ということを意味しない)。

強いというのは状態だけれど、勝利は結果。当然のことながら戦いの世界では結果が重視されますし、階級名としてカンバンになるということは常に勝利する、ということ。それはすなわち、常に勝利できるだけの揺るぎない強さを備えている、ということでもある。

そして「聖」という言葉の完全性、侵しがたさ。個人あるいは指揮官としての能力だけでなく、他者を心服させ、仰ぎ見られるような人格の力が求められているのです。豪将以下とは別格の存在です。

また、少し視点を変えてみると、「凱」という漢字自体、豪だの将だの暴だのといった漢字に比べ一般的でなく特別感がありますし、発音の面でも、豪将~雄闘までの階級がウ段とオ段の音が中心なのに対し、凱聖だけはア段とイ段の響きが強い。耳から聞いても豪将以下とは異質なものとなっている。もちろん単なる偶然という可能性もありますが、それにしては豪将以下の3階級の音色が揃い過ぎており、やはりこれは意図的なものであると考えたい。

このように、様々な工夫を凝らして、各軍団の長たる「凱聖」はスペシャルな存在に設定されているのです。そして…

 

 

「聖」を遥かに超えたところに「神」がいる。

細かい階級区分で内部競争を煽って組織の活性化を図る一方で、各軍団にカリスマ的存在を置くことで、その上に立つ自分を更なる高みに押し上げる。

神を名乗る帝王ゴッドネロスの帝国支配の手法は、やは周到なものだったと言わざるをえません。

 

 

なーんてこじつけ気味に考えてみましたが、『メタルダー』好きな割には飛び飛びでしか観られてなかったりするので、とんでもなく的を外していたりするかも…もし間違いなどありましたら、「これはこういうことなんだ!」とご指摘いただければ幸いです。

 

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