あまたの星、宝冠のごとく(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア/ハヤカワ文庫)

ティプトリーの死(寝たきりの夫を殺して自分も自殺。といっても所謂介護疲れの無理心中ではなく、以前から夫婦間で取り決めていたものだとか。)を受けて1988年に刊行された追悼短編集。まずタイトルがイイ。原題はCROWN OF STARS で、聖母マリア像で広く取り入れられてきたモチーフ(星の宝冠を被っている)から来ているそうですが、キリスト教に馴染の薄い私には、「星の宝冠」という直訳よりも邦題の方が、宇宙の広がりを感じさせていいな♪と思うのです。

ほとんどが晩年の作品だとのことですが、うーんやはりいいなあ。ペシミスティックに美しく、繊細にアイロニック。漂う苦いユーモアと時折りひらめく怒り。環境問題やジェンダー、持てるものと持たざるもの、虐げられるもの。30年前の作品ですが、プレイヤーや舞台装置が多少変わっても、テーマとなる問題そのものは今も変わらずに残ってる。

私の一推しは、「いっしょに生きよう」。テレパス能力を持ち、他の生物の体に宿るエイリアンと惑星探査に来た地球人のコンタクトとその思わぬ結末を描いています。皮肉さやペシミスティックな雰囲気は影を潜め、未来への希望も感じられるにもかかわらず、静かな悲しみに満ちている。ラスト近くの地球人ジューンの台詞から始まる一連のやりとりは、ユーモア要素の少ないこの作品の中で、唯一笑える場面なのだけど、同時にそこに溢れるやさしさと悲しみに胸をつかれます。

また、火星で出会った奇妙に友好的なエイリアンとの接触とその結末を描いた「アンゲリ降臨」は、ファーストコンタクトに始まるドタバタ劇はもちろん笑えるし、こちらの思い入れに対するあちらのあっさりさ加減や彼らの置き土産は可笑しくも悲しく不気味であって後を引く。(しっかし読んでる間中、脳裡に殺せんせー(暗殺教室)が飛び交って困ったw)

高慢で自分勝手で貪欲な美人女子大生が55年後の自分と一定期間だけ入れ替わるプログラムを利用してタイムトリップ、そこで知った未来に愕然としながらも葛藤を経て真実の愛に目覚めるのだが…という「もどれ、過去へもどれ」は、悟りきれない人間の心の襞が身につまされる。ティプトリーの死の状況を考えると、巻末の「死のさなかにも生きてあり」もそうだけど、作者の死の状況を嫌でも思い出させるものがあり、忘れがたい作品です。でもこのタイムトラベル装置は文字通り誰得。物質も記憶も、何も持ち帰れないんだもん。未来を覗き見はできても、覚えておくことはできないのだ その他コミカルな寓話風の作品からシリアスなミリタリーSFまで、まさに星、宝冠のごとくきらめく作品集です。

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