上田秋成の「雨月物語」、「春雨物語」の石川淳による現代語訳。
雨月物語は超有名な怪異譚で、粗筋を知っている話もあったのですが、晩年に執筆された「春雨物語」の方は、どれも初めて読む話で、雨月物語とは作風も大きく違っていて驚いた。春雨物語の中でも超自然的な事象は発生しなくはないのだけれど、雨月物語のようにそれがメインではない。「血かたびら」「天津処女」は歴史小説だし、「海賊」は紀貫之の「土佐日記」の一節を膨らませた二次創作の体裁をとりつつ、中身は古今和歌集や菅原道真に関する批判的論評。貫之は「海賊」にやり込められる(というか一方的にまくしたてられる)役回りとなっている。「目ひとつの神」も神や狐が出てきたり山伏が空を飛んだりはするが、主題は和歌(広くは文学か)修行のあり方で、一つ目の神が、都に出て和歌の師匠につこうとしていた東国の若者に対して「やめとけやめとけ」と、こんこんと諭す辺りがクライマックス。そして「樊噲」。主人公は劉邦の部下だった人ではなく、伯耆の国の大蔵という無法者。樊噲というのは仇名なのですが、これは…ピカレスクロマンというのでしょうか。何のためらいもなく暴れまわるわ殺すわ強盗するわ、それでいて妙に気前が良かったり、泊めてくれた家の主が小狡い商人に騙されそうになるのを救ったり…と言っても、実はいい人なんです、というのではなく、すべてが妙にあっけらかんとして清々しささえ感じる(その意味では、石川淳の附記でも触れられている通り、ラストがイマイチ物足りなくはある)。
雨月物語の妖しくも美しい世界もいいけど、春雨物語は客観的というか突き抜けたというか透徹した感じがあって、上田秋成という小説家に非常な興味を抱かせる作品でした。この本に収録されているのは10篇中5篇だけだそうなので、他の話も探してみたい。(原文で読めば更によし、なんでしょうけど、ちとハードル高いかな)