19世紀初頭、ロンドンを出港して喜望峰に向かうも航海の途上で消息を絶った輸送船オブラディン号が5年後、ロンドンの港に帰還する。しかしそこに生存者の姿はなかった――保険調査員である主人公のもとに、何がおこったのか明らかにして欲しいという依頼と共にある人物から送られてきたのは、空白ばかり目立つ手記と、残留思念を再現する力を備えた奇妙な懐中時計。主人公は乗客乗員60名の安否(死亡なら死因も)を確認し、オブラ・ディン号を襲った悲劇の真相を解明すべく、無人の船に向かった――
ずいぶん前にsteamのセールで買って積んであった "Return of the Obra Dinn"(オブラ・ディン号の帰還)。ライブラリを点検してたら出て来たので何の気なしに始めたらすげー面白かった!粗いモノクロの陰鬱な画面、凄惨な死亡シーンも多くてちょっと怖い感じだけど、方向性としては恐怖を狙ったものではなく、ホラーが苦手な私でも楽しめました。
19世紀初頭のイギリス東インド会社所属の外洋船を舞台に、船内を覆う不穏な雰囲気、東洋の秘宝、迫りくる怪異、凄絶な死の数々、勇気と裏切り、欲望と破滅……と海洋冒険ファンタジー*1の醍醐味満載のアドベンチャーゲームです。
主人公に託された懐中時計を死体の前にかざすと死亡した瞬間の映像がストップモーションで現れる(直前の音声付き!)のですが、誰の死体で死因はこれだと一発で特定できるケースは少ない。手記に残された船内スケッチや他の場面の映像の情報も総合して、服装や仕事ぶりから職位を、風貌や言語から国籍を、行動や立ち位置から相互の関係性を推測して名簿の誰に当たるか当てはめていく必要があります。これが難しくて、士官はまだしも船員たちは人数も多く国籍が同じ人が何人もいる上、会話もロクになかったりするのでよく観察してささいな違いを見つけ出さなくてはいけない。死因もぱっと見では誰に殺られたのかわからなかったりする…でもそれだけに、正解に辿り着いたときの快感はなかなかのもの♪
ストーリーやキャラクターにも味があって、クリア後も謎めいた余韻を残す良作だと思います。BGMも地味だけどマッチしてて好き。クリア時間はネットで見ると10時間くらいという方が多いようで(私はトロいので倍くらいかかった)、手頃なボリュームではないでしょうか。機会があったら是非どうぞ。
……と、一通りの紹介はここまでにして、以下思いつくままに感想を(ネタバレあり)
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◆陰惨な場面が多い中で、思わず笑ってしまったのが態度デカすぎる船医助手のジェームズ・ウォレスさん。船医が沈痛な表情で患者診てるときに、デスクに両足のっけてくつろいでるのは…??最初はまさか助手だとは思わなくて、船医の他に士官もいて、この二人の前でこんな態度を取れる人は……と探してしまったじゃないか笑!船医のエバンス自身は医者らしいインテリだと思うけど、まだまだ医療も未発達な時代だし、荒っぽいことOKな人が助手を務めたりすることもあったのかな。
◆もう一人微笑ましかったのがダンカン。サーティ司厨手の死因を探っているとき、左舷通路の窓から見えた姿がもう…一周回って好きになってしまったよ。最後のざっぱーん!!も申し訳ないけど笑ってしまった。最初はあれに気付かなくて、どこかで生きてるもんだと思い込んで、可能性のある場所を総当たりで試してた……温和そうなブース君も結構好きだったので残念だけど。
◆入れ墨といえばニューギニア!というコドワ*2ファンの私。マバは特定のしやすさと勇敢さで好きでした。あの死に方は辛い…彼に限らず、マストのあの高さをものともしない檣楼員の皆さんには尊敬しかない。
◆アビゲイルはなんだって乗っていたんだろう。こんな航海に夫人を同伴するとも思えないし、船長夫人がケープ植民地に一体何の用が?イギリスからの入植も増えていた時期らしいのでエミリーとジェーンは向こうに親類縁者がいるとか職が得られたとかで渡航しようとしたとも考えられるけど、夫が船長やってるアビゲイルが移住するとも思えないし…うーん謎だ。それとも私が知らないだけで、妻同伴の航海とかあったのかな…
◆ランケ君。仕方ないよね…誰もが勇気ある行動を取れるわけじゃない。訓練受けてても彼ぐらいの反応が普通なんだと思う。いや頑張った方なのかも。
◆わからんわからん→わかった!の連続だったこのゲームですが、最初のエウレカ!!はE.S.がわかったときでした。分厚いスケッチ帳を抱えて現場に駆け付けようとして止められてる姿が印象的。彼の描いたスケッチがなければ、真相にはたどり着けなかったわけで、陰の功労者とも言える。姿形もなかなかカッコいいですよねE.S。
◆けど、彼のスケッチには疑問もあります。
「海上の宴」は和気あいあいとした陽気な雰囲気で、ゲームが進行して登場人物たちに愛着がわいてくると、「本編には全然なかったけどこういう平穏で楽しかった日々もあったんだろうな…」とちょっとしんみりしていました。
終盤になってピーターズ兄弟を特定すると、カードゲームをやってるらしい兄貴の手をネイサンが横から覗き込んだりしてるじゃないか。ホロリ……いや、でも、あれ?兄のサミュエルは出向前の荷物の積込作業中の事故で死んだんじゃなかったっけ?なぜ宴にいるの…
考えてみれば、船付きの画家として乗り組んでいて描いたのがあの3枚のみ、ってことはないはず。エバンズが手記の材料にするために持ち出したのがあの3枚だったというだけのことだ。だとするともしかして、E.S.とピーターズ兄弟も前にも同じ船に乗り組んだとかで知合い同士で、「サミュエルもいたらな~」バージョンのif絵をE.Sが描き残しておいたのを、エバンズが「これならサミュエルも載ってるから60人のスケッチが全部揃うぞ♪」と思って持ち出した…とか。
◆「フォルモサの王族」の方は、最初見たとき女性が立ってるように見えて、身分は禿頭の男>女性(彼の妻か娘か侍女とか)>護衛2人だと思い込んでいました。イトベンさん偉そうだし…でも船上裁判での会話であれ?となり、誘拐されたボートの上でのやり取りで間違いに気づきました。よく見ると、膝を揃えてちょこんと座ってるんですね。かわいい。
◆フォルモサというのはポルトガル語で美しいという意味があり、台湾の美称でもあるそうです。シェリルさんの苗字*3ってそういう含みがあったんだ!しかし史実では、当時の台湾は清朝支配下にあり王はいなかったらしいので、フォルモサは台湾をイメージした架空の国というところかな。
◆彼らがどうして危険で貴重な宝を持ってオブラ・ディン号に乗って喜望峰に行こうとしていたのかも謎だ。客船ではないしヨーロッパ人の乗客は中流階級ぽいからセレブな旅でないことは確かである。イトベンの他は護衛が2人だけ、英国籍の船に乗って喜望峰に行くのに英語を不自由なく話せる者も連れて来てない。フォルモサという国に金も力もないからか、あるいはお家騒動か何かで逃げてきたために王女の旅らしい威儀を保てない、あるいはあえて避けたのか。あんな物騒な宝を持ってたことを考えると、後者だろうなぁ…リムが自分で使うというよりは、悪用させないためにアレを持ち出して、できるだけ遠くに逃げようとした、とか…?まったく根拠のない想像ですが。
◆事故、病気と来て次は殺人。前二者は当時の外洋航海ではありふれたことだったでしょうからここが真の悲劇の始まりでした。ニコルズ一派の工作があったにしても、ウィットレルがよく調べもせずリムたちに確認も取らず、性急に死刑を執行してしまったことでニコルズの計画が露見せずにスルーされてしまった。
ラウは「自白した」と濡れ衣を着せられていましたが、自白などするはずはないのでニコルズ一味の中国人ホン・リがラウを罪に陥れるような通訳をしたのでしょう。しかしタン・チョウを尋問した際に通訳していた中国人がいるから、少なくともあと1人は通訳できる者がいたはず。ウィットレルがリムたちにも判断理由を事前に説明していれば、ホン・リがまたウソの通訳をしたとしても「なんかおかしい…」という不自然さが出て、もう少し慎重に捜査するかということになったかもしれない。
これが白人相手だったり、あるいは陸でおこったことであれば、実際そうしたかもしれないけど、あの時代のことであるからアジア人蔑視も激しかっただろうし、船上と言う閉鎖空間ということもあって早急な秩序回復と船長の強権の誇示がなければ船と乗員の安全が確保できない、という焦りもあったのでしょう。
それにしても、疑われたりトラブルに巻き込まれたときに言葉が通じないというのは恐ろしいことだな…
◆4人並べて上官命令で発砲させたのに、命中したのが彼だけだからってブレナンが殺ったことになってるの可哀想じゃないですかね?
◆そして最大の過ちはニコルズが捕まえてきた人魚を収容してしまったこと。これも単純に欲に目が眩んだというだけではないような気がします。
二等航海士が仲間を抱き込んで窃盗&誘拐&逃亡の際に人殺しもやってるし、被害者も一味も全滅。ニコルズの所業を踏まえて考えてみればラウの処刑も冤罪だったっぽい…この時点で既に相当なやらかしで、船長への責任追及は免れない。失地を回復して一発逆転を狙うにはこいつらを持ち帰るしかないという、追い詰められた気持ちが強く働いていたのではないかと思います。タン・チョウが危険を説明できていれば考え直したかもしれないけど、タカアシガニの行動が迅速過ぎましたね。
◆しかしあの状況で人魚を回収したニコルズの根性は何と言ってよいやら…そのまま一人でカナリア諸島を目指してくれればよかったのだが。まさに「戻ってきやがった!」だよ…
◆エバンズたちの脱出を止めようとしたボルコフが一等航海士付司厨手モスと斬り合いになって刺し殺す場面、追いついてきたウィットレルが「行かせろ!」と叫びつつボルコフをに銃を向けるんですよね。彼が撃つ前にエミリーがぶっ放してボルコフに命中、無事ボートが出ていったわけだけど、このときウィットレルは手すりにもたれて頭を抱えています。
「取引」の章を見てからこの場面を改めて考えてみると、この時点で生き残っていた乗客2人エミリーとジェーン、船医のエバンズ、司厨手のモスとデービー・ジェームスを脱出させて残りの士官や士官候補生、船員たちは船に残す、という人選はウィットレルの暗黙の了解のもとに行われたのではないかと感じました(一等航海士付きのモスも共に逃げるつもりだったのか、脱出を手助けするだけで、オブラ・ディン号と運命を共にするつもりだったのかはわからないけど)。
ウィットレルはおそらく、怪物は去っても自分への信頼は地に(海に?)堕ちていて「終幕」のような事態が遠からず発生するのではないかと予感していたのだと思います。だからせめて、乗客である女性2人には逃げて欲しかったのではないか。でもボルコフにとってみればモスたちは頼みの綱の最後のボートを盗んで勝手に逃げ出そうとする卑怯者です。脱出を止めようとしたボルコフは全然悪くないし、モスもエミリーも悪くないが、結果的に死体が2つ増え、エミリーも人を殺めた罪を負うことになった。
そして最後のボートが行ってしまったことで、完全に逃げ場がなくなったオブラ・ディン号でこれから何がおこるのか。ウィットレルの悔恨と慚愧の念はいかばかりだったか…
その割には「終幕」での反乱に対してはヒャッハーという感じで次々と返り討ちにしているが…ちょっと精神の均衡を失していたのかもしれない。
◆最後の猿の手。船の乗組員がペットの猿や鳥を連れ歩いてる描写は海洋モノでよくあるので「おっエバンズは猿か~」くらいに思ってたけど、まさかの使われ方だった。主人公は猿の手を通じてあの場でおこったことを知ることができたけど、懐中時計の元々の持ち主はエバンズだったんだから、その場で自分で懐中時計を使えばよかったのでは?ていうかそもそも、他の事件だって自分で懐中時計使えば調べられたのでは?という疑問がおこる。
ひょっとすると、あの時点では懐中時計に事件再現の力はなく、猿の手*4に願いをかけてはじめて備わったものだったのではないだろうか?たとえば、
①懐中時計が事件映像を再現できるようにしてください
②事件の顛末を書き留め再現できる便利ノートを作りたい
③①②を使った調査をしてくれる人が現れて欲しい
みたいな。
「ろくでもないこと」と言ったのは、科学の徒である自分が、猿の手などという迷信に賭けようとすることへの自嘲でしょうし、「好奇心のため犠牲になった」というのはやはり、猿の手を得る前のエバンズには真相に迫る手段(懐中時計の力)がまだなかったと考えられます。真相究明の手段として、なんでそんなに回りくどい願いにしたのかといえば、エバンズが残留思念とか場所が持つ記憶の再現とか、そういう疑似科学的な概念に興味を持っていたから…まったくの憶測ですが。
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結末を迎えてなお、幾多の謎が余韻として残る、味わい深いゲームでした。