早咲きの桜たちを巡る~ミヤビザクラ、エドヒガン、ジンダイアケボノなど~

前回から半月あまり(※3月26日の記録です)、今日もスタートは土呂の市民の森から。去年まではタイミングが合わなくて、ソメイヨシノが咲き始めるこの時期に来るのは、実は初めて。

 

大きく枝を広げ、滝のように流れるようなシダレザクラ。こんな見事な樹があったんだ…

シダレザクラは他にも何本かあったのだけど、そちらはまだ全然つぼみ状態だった。このように花がほっそりスッキリしたタイプとは違って、ピンクのひだがふわふわした八重咲で、もう少し開花が遅い種類のシダレザクラもあるから、それなのかもしれない。

 

 

これが…みやび桜か…!

野鳥観察とかで冬に来ることが多いからか、丸裸の姿ばっか見てなんか細くて頼りないなとか思ってた。お見それしました。素敵です。

 

ピンクである

見事に、ピンクである

この樹の標示板は「みやび桜」になっていたが、プリンセス雅とか単に「雅」とも呼ばれる*1。意図的な交配で作り出したのではなく、別の品種を栽培しているはずだった中に育っているのを発見したらしい*2命名については「プリンセス」から推察されるように雅子妃にちなんだものらしいのだけど、残念ながら確固たるソースは見つからず…

 

葉桜のカワヅザクラを見ると、桜餅が食べたくなりませんか?

 

 

市民の森を後に、すぐ隣の見晴公園へ。

 

開花し始めた菜の花と、盛りのみやび桜、そして勢いよく回る風車

ありゃりゃカメラの設定間違いのせい?夕暮れっぽいぼんやりした空気

 

満開のみやび桜が続く

はっきりしたピンクは遠くからでも目を惹く

 

見沼緑道と東武線が交差する手前に立つカンヒザクラ

カンヒザクラも葉桜になるんだね…なんか可愛い

 

線路を大きく迂回して戻ってくると、今度はエドヒガン通りになってる

 

花びらほっそり、萼筒ぷっくり

あ、カメラの設定直ってる

 

レジスタことレジデンシャルスタジアム大宮*3(旧市営大宮球場)脇にもみやび桜

2018年植樹ということは、数年間は気付かず素通りしていたわけだ。レジスタは高校野球でもよく使われる球場ではあるけど春の出番は4月下旬の県大会だから、気付かなかったのもムリはないが…この春はちゃんと若葉を拝見させていただきますです。

 

球場から見沼代用水沿いを少し歩くと大宮第二公園。

菖蒲田やひょうたん池を見下ろす土手はソメイヨシノ中心なので、まだまだこれからという感じだよな…と思っていたら

 

満開のエドヒガン(高すぎて良く見えないけど、たぶん…)

エドヒガンはすごく高くなる。見上げても全然届かない、この感じが好き

 

 

第二公園を抜け、大宮公園へ。

大宮公園にわたる陸橋の手前の緑地で咲き誇っていたオオシマザクラ(たぶん…)

赤味がまったくなくて、あくまで白い。花びらが芯の緑をうつして、かすかに緑を帯びて見える

 

大宮公園では、出店がズラリと待機中。今空いているところにも番号とか品目を書いたテープが貼ってあって、見ている間にも荷物積んだ車が新たにやってきていた。勢ぞろいして準備万端整うのは金曜日なのかな。

 

だがしかし、既に花見は始まっている…!

第二公園やボート池周辺と比べると、広場のソメイヨシノは少し進んでいる感じ。にぎやかさの影響と言うわけではないだろうが…

 

大宮公園で一番多いのはもちろんソメイヨシノだけど、ジンダイアケボノという品種の若木もあちこちに植樹されている。今まで花は見たことがなかったのですが

可愛い…!

柔らかく丸みを帯びた花びらの色づきは均一でなく、縁の方が紅色が濃い。これが最大の特徴であり、魅力だろう。

 

ジンダイアケボノ(神代曙)が生まれた経緯は、神代植物公園(東京都調布市)で、アメリカから逆輸入した「アメリカ」(旧名「曙」)という品種を増やそうとしてソメイヨシノに接ぎ木したら、「アメリカ」ともソメイヨシノとも違う品種が生まれた…というもので、名前もそれにちなんでいる*4。ソメイヨシノに比べててんぐ巣病という伝染病にかかりにくいなどの利点もあり、戦後~東京オリンピック前後に植えられたため高齢化しているソメイヨシノに替わる品種として期待されているという(同上))。

そういう意味では、今日歩いた見沼緑道の植樹の多くがミヤビザクラだったのも、ソメイヨシノ以外の品種に期待せざるを得ないという、類似の理由であるのかもしれない。

そう考えるとちょっとショックだし淋しいな…ミヤビザクラもジンダイアケボノも綺麗だし可愛いけどね。やっぱりウン十年間桜といえばソメイヨシノで生きたわけだし。でもそのソメイヨシノもここまで広まったのは長いサクラの歴史の中で最近数十年のことなわけだし、勢力図が少しずつ塗り替わっていくのもまた、理というものなのかもしれない。

 

今はただ、サクラも人も永遠ではないということを心にとめて、毎春毎春、その日その日の桜を楽しもう。

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