脳内一人称 (ご注意)『龍と苺』第227話「イケダ社のムサシ」のネタバレがあります 

超弩級展開が続く週刊少年サンデー連載中の将棋マンガ『龍と苺』。

私も読み始めたのはつい最近なんだけど、あっという間にコミックス読破、我慢しきれずサンデーうぇぶりの1週遅れの配信、そしてついに本誌最新話まで追いついてしまった…どう凄いのかは現物を読んでいただくとして(将棋の知識なくても楽しめる)、第227話「イケダ社のムサシ」でひとつ気になったことがあった。

 

対AI竜王戦*1初戦の相手は日本のAI企業イケダ社が社運を賭けて開発したムサシ。以前から感情があることは丸わかりだったけど、今回はモノローグやら黒枠の回想シーンやらテンコ盛り、大爆笑なくしては、そして涙なくしては読めないエピソードだった。その中に、ムサシが自分が思考していることに気づき、自意識の目覚めに戸惑う場面がある。

作中世界はAIは高度に発達しているとはいえシンギュラリティには到達しておらず、未だ感情や自意識を獲得していない、ということになっているので、もしそれが本当ならムサシは竜王戦のタイトルを取って優秀性を証明するという当初目的をはるかに超える凄いことを成し遂げたことになるわけです。が、それはそれとして…

 

モノローグの一人称が「オレ」なんですこの子。

 

人間と話すときの一人称は「私(わたし)」だし、四角い胴体の上に四角い頭が載ってて丸いパーツが数珠状に繋がってるだけの四肢(手はクレーンゲームのクレーンみたいな二又に分かれてる)、ペッパー君よりロボコンに近い、ロボロボした形態。まして性別を感じさせる要素はない。まあ名前がムサシだし、産みの親兼育ての親の本田さんも中年男性だし娘というより息子みたいな接し方だったとしたら性自認が男性寄りになるのもおかしくはないし、そもそもオレだからって男性とも言い切れないし…いやでも、なんでモノローグで一人称が変わるのよせめてそこはボクじゃないの?将棋の学習のために将棋マンガ読まされてたのか?

 

とかぐるぐる考えているうちにふと思った。

 

小説でも漫画でも、モノローグの一人称はいろいろあるけど、私が思考する時の一人称は「私」でもなければ「あたし」でもない。自分と言う存在は私の中で一番大きく重い、唯一無二のもので、自分について考えるとき、主語はないに等しい(それともこれって私だけの感覚かな?)。

そのことをこうやってブログに書くとか人と話すとか、いやその前に自分の中で論理だてた文章にしようとするときはじめて一人称が必要になって、その選択は他者との、世界との関係、自分をどう位置付けるか(自分が何者だと認識するか)によって決まる。まあ、私の場合、デフォは「私」だし、「あたし」も「私(わたし)」の口語訛りくらいの差なので変化に乏しいけど、男性に多くみられる「ぼく」「オレ」「私」は、ご自身の中でどう認識され、使い分けられているのだろうか?ちょっと気になる…

 

 

 

それはそれとしていやほんと、ムサシなんでお前は「オレ」なんだよ!

 

『龍と苺』今後も目が離せません。

*1:竜王戦の本戦はAI同士で行われており、人間の竜王は形だけ出場枠を持っているに過ぎない。もちろん勝ち上がることなど想定されていないし実例もない。苺が初参加したときの竜王戦アマ枠との相似形である。

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