江戸時代末期、老中水野忠邦のもと、天保の改革の締め付けも厳しい江戸の町。
老舗の薬種問屋から火が出て、焼け跡から番頭と若主人の遺体が発見された。両方とも他殺であることがすぐに明らかになる。放火殺人だとすれば下手人は?そして目的は?噂のとおり蘭方医と漢方医の対立が原因なのか?北町同心・服部惣十郎は、小者の佐吉や岡っ引きの完治を従え、町医者の梨春の協力も得て事件を追い始めるが…
物語は、放火殺人事件の捜査、そして事件の真相がつかめないうちに降りかかってくる他のいくつかの事件、そして、妻を亡くし老母と下女と三人で暮らす惣十郎の私生活を絡める形で進んでいく。
タイトルも事件も捕物帖仕立てではあるが、謎解き推理と言うよりは、登場人物たちそれぞれの、外からは窺い知れない心の裡、自分でもしかとはわからない心の揺らぎ、それらが生み出す思いがけない――時として取り返しのつかない――結果が物語の中心であるように感じた。
主人公の惣十郎からして、洞察力に富み、気さくで清廉で思いやりもあるが出世や政治的立ち回りには興味がない、よくあるタイプかと思いきや、大先輩の娘を嫁にもらいながら愛せないまま病で死なせてしまった罪悪感に今も苛まれながら、結婚前から懸想している別の女を密かに思い続けているのだ。
惣十郎の部下ふたり、鈍物の佐吉と切れ者の完治もそれだけの対比では終わらないし、穏やかで聡明な母多津と、働き者で多津を母のように慕う下女お雅、平穏に見える惣十郎の家庭生活もそのままではいかない。
また、ネタバレになるので具体的には書かないが、家族に対して抱く感情や満たされない自尊心など、現代にも通じる切実な問題が随所で取り上げられていて身につまされる。
現代に通じるといえば、太平の世が終わろうとする時代の不安、幕府の行き詰まりを現実的でない締付けで何とかしようとする強権政治、活力を失って萎縮し、上からの締付けにぶつくさ言いながら身を縮めるか、小手先で逃れようとする江戸の民…この辺りもまんま今の日本である。
シリーズものとして量産するような作品ではないとは思うが、惣十郎のスタンスや周囲の登場人物も魅力的で(私は特に巾着切り上がりの岡っ引き完治がお気に入り ♪)、もう少し続けて欲しいなあ…