先週の話になりますが、三鷹でやってた時は見逃してしまった『デビュー50周年記念 諸星大二郎展 異界への扉』を追って、足利市美術館まで行ってきました。
最後の巡回先が自宅から2時間足らずで行ける足利だったのでギリギリセーフ。遠いとこだったらさすがに行けなかった。
とにかくやはり、原画は凄いですね。圧倒されます。
(以下「生命の木」のネタバレがあります。未読の方はご注意ください。)
一番感動したというか打ちのめされたのは、有名な
「おらといっしょに ぱらいそさ 行くだ!!」
の次のページ、いんへるのから噴き上がった無数のじゅすへるの子らが、復活した善次に導かれて昇天していく、まさに皆でぱらいそさ行くシーンでした。
ページ上方、何も描かれていないただの空白が、かくも神々しく、光に満ちて見えるのはどうしてだろう。
黒く塗りつぶしたベタが底知れない闇であるのと同様に、白地に細かい黒い線だけで描かれた常世の風景が果てしない黄昏であるのと同様に、この「ぱらいそ」の光もまた、諸星大二郎の「異界」なのだ。
このシーンがずっと頭に残ってて、帰宅してから久しぶりに「生命の木」を読み返したのだけど、改めて読むとひとつ気になることがあった。それは…
救済にあずかれなかった重太の罪とは、いったい何だったのだろう?
隠れキリシタン "はなれ" の村人は知恵の木でなく生命の木の実を食べた「じゅすへる」の子孫。彼らにとって、善次はキリスト教世界の救世主イエスに相当する存在であり、重太は裏切り者、イスカリオテのユダであることは作中で語られる。
善次の方はわかりやすく、イエスと同じように十字架にかけられて死に、そして復活する。
だが重太がユダというのはどういうことか。
善次を殺したのは”はなれ”の村人たち全員であり、それを指示したのは三じゅわんと呼ばれる3人の聖人?たちだったようだ。さらに言えば、他の村人たちは皆「地獄(いんへるの)」に引き込まれたのに重太だけは「いんへるの」行きを免れたわけだから、善次殺しに加わらなかったと見ていいだろう。手を下さず扇動したとかいうこともなさそうだ。
つまり、イエスをユダヤの祭司長たちに引き渡して刑死の原因を作ったユダのような裏切りはなかったはずなのだ。それどころか、重太だけは善次殺しの罪を犯していない、とも言える。
もう一つ考えられる「罪」としては、善次の遺体を発見した本村のカトリック教会の神父が、キリストの磔刑を想起させる遺体の有様を忌避し、十字架を隠す工作を行っていた、というのがある。
神父の行動は、心の奥底では善次が救世主なのではないかと疑念を抱いていたにもかかわらず、それを認めたくない気持ちが働いていたが故に、余計に罪深いとも言える。
しかし重太が神父に注進したとか、協力して十字架を隠したとかしたのか?というと、神父と重太の態度に共犯めいた不自然な様子もなく、そういう共謀があったとも思えない。
救世主殺しも、その死を貶めることもやっていないとすると、何がいけなかったのだろうか。
ここで、処刑前にまで視野をひろげ、そもそもどうして善次が処刑されることになったのか、そこに至る過程を考えてみる。
重太が善次を「善ずさま」と敬称で呼んでいたことから、善次が尊崇の対象だったことが感じ取れる。
神父は善次を「病人がいると親身に看病するような男だった」と評していた。村人皆に殺された⇒そんなに嫌われていたのか?⇒そんなことはない、という流れの中での説明なので、あっさり読み流してしまいそうになるが、救世主+病人といえば何と言っても、ナザレのイエスがおこした数々の奇跡。
神父は気付いていない(あるいは心理的バイアスによって無意識に無視している)が、善次はイエスと同等の存在だったのだから、イエスがやっていたような奇跡レベルの治癒を行っていたと考えるのが自然だ。そう考えれば、まだ若い善次が重太や他の村人から尊崇され、救世主と目されるようになったのも頷ける。
しかしーー救世主がじゅすへるの子らを救い、ぱらいそに連れて行くためには、まずその前に十字架にかけられて死なねばならないし、そうなると予言されている。とはいえ、ユダヤの長老たちもローマ帝国もない現代日本では、善次は磔刑どころか死刑になることさえあり得ない。
だから、村人たち自身でやる以外ないーー
「三じゅわんさまがいっただ… そいで ”はなれ” のもんみんなでやっただ…」
の背景にはそれがあったのだろう。新本格みたいな動機だが1976年の作品である。
救世主が十字架にかけられて死ぬこと、手を下した者が「いんへるの」に堕ちること、しかし3日後に救世主が復活し、「いんへるの」で苦しむ全ての者を引き連れて「ぱらいそ」に昇天すること…すべては 予言されていた。
他の村人たちは三じゅわんの指示に従い、予言を成就させるため善次磔刑の儀式に加わった。重太も、「骨の山に善次を運んで、クギを打って…」と語っているところを見ると、村の者たちと同道していたとのだろう。しかし処刑には加わらなかった。
その違いはなぜ生まれたのか。
他の村人たちが尊崇していた善次を殺せたのは、彼が死後に復活し、手を下した自分たちも含め、いんへるのに堕ちたすべての者をぱらいそに連れていってくれる、と信じていたからだ。だから善次を殺すことも、いんへるのに堕ちることも、恐れることなく役割を果たした。
その結果予言は成就し、彼らは首尾よく救済されて昇天した。善次は真の救世主だったから、約束された救済をもたらすことができたのだ。
だがもし、善次が救世主でなかったらどうなっていただろう?
善次殺害は単なる人殺し、手を下した者たちは殺人の罪で勿論いんへるの行き。しかし救世主でない善次の復活も救済もなく、彼らはいんへるのに押し込められたままになっていたはずだ。
重太が善次に手を下すことができなかったのは、その疑念と恐怖が払拭できなかったためではないだろうか。おそらく処刑に加わることもできず、さりとて止めることもできずに "はなれ"に逃げ帰り*1、3日目の復活を待っていたのだ。恐れつつ、疑いつつ。
善次が救世主であること、復活の予言の成就によって救われ、ぱらいそに行けること。
それを信じ切れなかったために重太は裏切り、善次を殺さなかった。
救済を信じなかったから、救済されなかった。
シンプルな理屈ではある。だけど…
それだけの心の弱さによって、救いの手から零れ落ちてしまうのか?重太の運命を考えると、あまりにも辛すぎ、可哀想すぎないか?まあ上記の推測が全然間違ってるのかもしれないけど…
あるいは、あの後の重太にもう一度チャンスがあって、今度こそ逃げなかった彼の前にも救いが、ぱらいそへの道が開ける、そんな可能性が……
あったと信じたい。
*1:「逃げた」といえば思い出されるのが、クライマックス近く、礼拝所の前で重太に追いついた稗田が後ろから肩に手をかけて、「重太!なぜにげた」と問うシーン。①重太の唐突な行動への驚きや戸惑いが希薄 ②稗田先生のキャラにちょっとそぐわない「上から」っぽさ ➂重太は善次が現れるはずの礼拝所に許しを求めて突進していったのだから、逃げたのではなくむしろ真逆。稗田が誤解するのは仕方ないが的外れな質問だし、重太も質問に反応せず流してしまうので、展開上の意味もない(的外れなことを言う役だったら、神父や「ぼく」がその場にいたのに…) という、ちょっと違和感の残るシーンなのだが、もしかするとこれは、稗田の口を借りた、善次あるいはでうすの問いーー「なぜ救われる道から逃げた。なぜわたしを信じることから逃げた」ーーだったのではないかと思う。