『絹の家』や『カササギ殺人事件』のホロヴィッツの作。さすがのストーリーテリングで、一気読みしてしまった ♪
ある日、ロンドンの葬儀社を老婦人が訪れ、自分の葬式の段取りを万事整えて帰っていった。自分で自分の葬儀の手配をすること自体は珍しいことではないが、彼女はその日のうちに何者かによって絞殺されたとなると話は別だ。果たしてこれはたまたまの、偶然の一致にすぎないのか?
「わたし」ことアンソニー・ホロヴィッツは、シャーロック・ホームズものの新作長編『絹の家』を書き上げたばかり。スピルバーグとピーター・ジャクソンが絡む映画の脚本も引き受けてウキウキのところ(この2人が本作に登場してホロヴィッツとホーソーンと4人で会話する場面は笑える)、以前法廷モノのTVドラマで一緒に仕事をしたことのあるホーソーンから奇妙な提案をもちかけられる。
ホーソーンはロンドン警視庁の元刑事で、事件をおこしてクビになった後も能力を買われて顧問として犯罪捜査を請け負っている。提案とは、老婦人絞殺事件を捜査するホーソーンのことを、本に書かないかというものだった。
現実の事件への興味から取引を受けたホロヴィッツは、自分の手の内は明かさず、相棒たる自分を尊重してもくれないホーソーンに辟易しつつも、そのホームズばりの観察力・推理力に感嘆し、事件の真相究明に自分も加わりたいという欲求もあって、やむなく彼と行動を共にし、引きずり回されていく。
捜査開始後すぐに、裕福な資産家で、誰からも好かれていて、おまけに息子は人気俳優だという被害者が、何者かの脅迫を受けていたことが明らかになる。老婦人の意外な過去を追い始める二人。そうこうするうち、アメリカ在住の息子も恋人と娘を連れてようやく帰郷、老婦人の葬儀が行われる日が来た…
現在の事件と過去の事件の謎ときも勿論面白いのだけど、この作品のキモはやはり、「わたし」ことホロヴィッツが次の本を書く、という目的で事件の真相を、そしてホーソーンという名探偵を、(ときに戸惑い、ときに放り出したくなりながらも)追求していく、というシチュエーションだ。
ホーソーンはつきあいにくく独善的で、したたかで執拗、そして刑事を首になった原因が示すとおり危険な人間で、読者として傍から見ている分にはなかなか面白いが、ワトソン役としてはストレス溜まる名探偵。
協力して本を出すという仕事の相方としても、本が売れた利益は五分で折半という強気な条件、書き上げた第1章を見せればここが足りない、そこが不正確だとボロクソ、そのくせ打合せのときのコーヒー代や交通費などの経費はしれっとスル―という、あまり有難くない相手。しかも探偵役の自分のことは話したがらないのでやりにくいことこの上ない。
しかしその反撥、ワトソン役が名探偵に批判的で疑念と不可解さを抱いていることが、読者のホーソーンという個人に対する興味をかきたてるのだ。そして一応ふたりが相方らしくなるラストに至っても、ホーソーンはまだ底を見せていない。
次作はもう出ているようなので翻訳が待たれる。ホーソーンが自分から提案してホロヴィッツに却下されてしまったタイトル、あれはサブタイくらにしてあげても良かったと思うなー。ある意味今のタイトルより作品に合ってて好きだ(笑)