『進撃の巨人』(諌山創/別冊少年マガジン)第123話「島の悪魔」雑感

やっぱり来ました「完全版地ならし宣言」。

 

◆お上りさん一行

いきなり始まるマーレ潜入の回想シーン。冒頭部分は笑えるけど辛い…サシャが…そしてエレンと仲間たちの温度差、エレンの孤独が…この先も、読んでいて心の痛みなく笑えることは、もうないんだろうな。

そしてリヴァイ。久しぶりに登場してくれたと思ったら…

キャンディの件は相手ピエロだし田舎者のチビと思ってからかわれたんだろうけど(さすがにあの迫力で子供と間違われることはないだろ)。避難民の少年スリを捕まえて、助けて、自分のサイフをスラれるくだりは…地下街育ちが子供相手にスラれたりしてていいのか?ていうか良い人過ぎる(泣)早く現在時点に再登場してくれ~

 

◆エレンの涙と、地ならし宣言

うーん「憎悪はなくならない→外の奴らはすべてぶっ潰す(比喩ではない)」てのは、エレンという人間の思考回路を考えれば理解できるけど、やっぱ受容し難いものがあるな。同じく憎悪がなくなることはないであろう現実世界に生きている身としては。

 本当に八方塞がりなのか、パラディもエレン自身も世界との衝突回避のために(島内で巨人や王政と戦っていたときと同じくらいに)死力を尽くした、その結果なのか?という疑問が拭い切れない。

パラディはマーレ以外の世界からは今のところ何もされてない。

エルディア人の人権団体にしてもヴィリー・タイバーの演説にしても、パラディを悪者にする理屈ではあるけれど、巨人化能力という逃れられない宿命を持つユミルの民を受容することを世界に求めるものだ(そしてヴィリーの演説には来賓の人たちは涙ぐんで拍手しちゃったりしている)。

各国の上流階級はかつてはユミルの血を自ら求めた。

ヒィズルからは現に支援を受けている。

あの世界においてユミルの民であることは「容易に越えられぬ」かもしれないが絶対に越えられない「柵」ではないのだ。

なのにたった数年で、外の世界の憎悪は消えないから外の世界を消すよ、というのは強大な力を持ってしまったエレンの傲慢ではないのか。もちろんエレンが苦しんでいることはわかる。でも、いかに苦しもうと涙を流そうと、強者が罪のない弱者に「しかたなく」暴力を加えるとき、その苦しみも涙も相手にとっては醜い独善でしかない。

それと、確かに123話の段階ではかなり追い込まれていたけど、もっと前の段階で自分が垣間見た未来を、せめてアルミンにだけは打ち明けて知恵を借りていたら、アルミンも尻に火がついて、破局を回避し可能な限り平和的な解決をするために頭フルで働かせてたんじゃないですかね…それをずっと黙っていたのは、最初は巻き込みたくないとか、それを明かしたさすがにアルミンも離れていってしまうのではという逡巡もあったかもしれないけど、次第に未来の記憶に縛られ、支配されるようになってしまったためであるように思うのだ。あの死んだような目を見てると。

 

◆もしも、あのとき…

「わたしは何なの?あなたにとって」って、女性が気のある男性に言うセリフじゃ…(汗)その問いを、かなり唐突にミカサに投げかけるグリシャ似エレン。このときのエレンがミカサに単純に愛を求めていたわけではないだろうけど、珍しくミカサの心に触れようとはしていた。

しかしミカサはいつも通りの「家族」という答えしか返せず、そのことを悔やむ「あのとき別の答えを選んでいたら 結果は違っていたんじゃないかって…」という言葉で、マーレ潜入の回想は終わる。

ミカサ自身がどう答えればよかったと思っているのかわからないけど、私には「家族」とか「愛してる」とかいう答えそのものより、エレンがなぜ今そんなことを言い出したのか?どんな気持ちで、何を考えているのか?と逆に問い返し、エレンの心に踏み込んでいくことが必要だったのではないかと思う。

エレンの変化、エレンの苦悩から目をそむけ、あるいは見過ごした――それはミカサだけの問題ではなく、アルミンや他の104期、リヴァイやハンジたち、壁の中での戦いで苦難を共にした仲間たちも多かれ少なかれ同じ過ちをおかしていたと思うけど、ミカサに問いかけたあのときが、エレンの心に触れる最後のチャンスだった。

そういえば、ミカサの回想に先立って、レベリオ襲撃でサシャを失ったアルミンも、3年前パラディが生き延びる方策を模索していた頃を回想して「もしかしたら別の道があったんじゃないかって」と悔いを見せている。世界を相手にパラディが生き延びることの困難さ、時間的余裕のなさ。そこからも彼らは目をそむけ、あるいは実感できていなかった。

エレンと世界、その両方を直視できなかったことが、今の状況を招いた。幼馴染2人の後悔。直視してても結果は変わらなかったかもしれないが、少なくとも最善を尽くしたとは言えない。そして、直視させる材料を持っていたエレンも、それを自分の裡にしまい込んでいた(無知ほど自由から遠いもんはねえとか偉そうにミカサ&アルミンに言ってたけど、その実、仲間を無知なまま放置してた)。エレンも悔恨と共にその分岐点を思い出すことがあるだろうか。それとも後悔などせず、進むのみだろうか。

 

◆アッカーマンもユミルの民

始祖放送での地ならし告知。全てのユミルの民を受信対象としたこの宣言は、アッカーマンと東洋人のハーフであるミカサにも届きました。

ということは、東洋人はユミルの民ではないから、アッカーマンはユミルの民に含まれるわけですね。両親より上の代で混血があった可能性を考慮しなければ。

するとこれに関しては、ジーク(から聴いたエレン)の話の「ユミルの民をいじっているうちに生まれた」という部分は正しそう。ケニー祖父の話ではユミルの民とアッカーマンは別物というニュアンスだったけど、他民族を人工的に強化した存在ではなく、ユミルの民が基本ということですね。そうなると巨人化能力もあるのか(リヴァイもミカサも巨人化は似合わないとは思うけど)?記憶の改竄ができないという特性はどうして生まれたのか?という疑問もわいてくる。物語の中で明かされることがあるかわかりませんが。

  しかし、この放送は大陸のユミルの民にも届いているんだろうけど、収容所にいる人はもちろん大パニックだろうし、血液検査受けてなくて自分がユミルの民と知らない人も相当数いるだろうから、その人たちはアイデンティティの崩壊と生命の危機が同時にやってくることになるんだよな…

 

この先どういう展開が待っているのか。せめてここからはそれぞれが、自分が後悔しない道を選んで欲しいと思うのでした。そして、あの避難民たちとの触れ合いが、エレンの苦しみ悲しみを増す以外の、何らかの意味があるものであって欲しい、とも。

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