『おばあさん』(ネムツォヴァ/岩波少年文庫)

夫と早くに死に別れ、子供たちとも別れて暮らしていた「おばあさん」は、故郷の近くに居を移すことになった長女・プロシェク夫人に乞われ、娘やまだ見ぬ孫たちのもとへと越してくる。孫たちは、不思議でいっぱい(服装も持ち物も頭の中にも)のおばあさんにすぐ夢中になり、家の中も万事差配を心得たおばあさんの前に、「すべておばあさんのことばどおりに」動くようになる。そればかりか、おばあさんはその知恵と度量、鋭い洞察と心の強さで地域に溶け込み、多くの人にとってなくてはならぬ存在になっていった…

 

41歳の若さで亡くなった19世紀チェコの国民的女性作家ポジェナ・ネムツォヴァ(ニェムツォヴァーと表記されることが多い)の代表作で、チェコがオーストリアの支配下にあった1855年に出版。同じくチェコの作家フランティシェク・クプカの『スキタイの騎士』で彼女について書かれた短編を読んで作品を読みたくなり、まずは図書館で借出してきました。亡き祖母への思い溢れる序文に書かれている通り、彼女の心の中にあるおばあさんの生前の姿(そしておばあさんと共にあって幸福だった彼女自身の子供時代)を描き出した物語です。

 

全編を通じて、一家が暮らす一軒家「スタレー・ベリドロ」のある美しい谷間の四季を背景に、家族の生活や、近隣の人々との暖かい交流が、平易でありながら美しく繊細なタッチで描かれている。日常の家事仕事や散策、季節の行事祝祭、粉屋や森番との家族ぐるみの気の置けない付き合い、プロシェク氏の主人である美しい公爵夫人母娘との交流、プロシェク氏の単身赴任で家族が別れて暮らす淋しさ、村の美男美女・ミーラとクリストラの瑞々しい恋と苦難、正気を失って森で暮らす女浮浪者ヴィクトルカとのささやかな触れ合い……大小さまざまなエピソードが、ときにほのかなユーモアを、ときに厳かな哀しみをたたえた語り口で語られる。

現在も、そして時折おばあさんが語る過去にも、事件や不幸もあるけれど、決定的な暗い影を落とすものではない。元々嫌なやつ、タチの悪いやつはいるがけれど、そうでない人々はおしなべて善良で勤勉で、日々の仕事と生活を楽しんで生きており、裏切りや背信とは無縁。おばあさんも善良で敬虔でいながら柔軟で懐の広い理想のおばあさんだが、支配者である公爵夫人母娘も優しく公正であるだけでなく、身分によって心の垣根をつくらない理想的な人物である。そういう意味では予定調和的なおとぎ話と見る向きもあるかもしれない。じっさい、登場人物の誰がどうなるのかという点に関しては、ほぼ予想通りに進む。

しかしその一方で、複雑な状況におかれながらも故郷を愛し、苦難に立ち向かおうとするチェコの人々の祖国愛(プロシアで夫を失ったおばあさんが、子供を「自分の信仰とことばによって育てたい」ためにプロシア王の好意的な申出を断り、幼子を引き連れて苦難の末にチェコの実家に帰ってくるくだりはやはり感動的)や、時代の移り変わりを寂寥感とともに受け止め、やがて去っていく運命にある「おばあさん」と新しい時代を生きていく若者たちの対比など、近代的・民族的な自我と情熱ーといっても、外国や旧時代を排斥し軽蔑するような狭量なものではないがーを感じさせる作品でもあり、チェコでは国民的な愛読書となっているのも頷ける。

 

近代的な自我といえば、孫たちの中で一番上の姉、感性鋭いバルンカが少女時代のネムツォヴァであることは読んでいるうちにわかってくるのだが、おそらくこの作品には大人になった作者ネムツォヴァが一部投影された人物も登場している。プロシェク氏の主人であり、地域の支配者でもある公爵夫人がそれで(公爵夫人にも実在のモデルはいたそうだが、重要なエピソードはあまりに物語的で、類似のことが現実におこったとは思い難い。基本的に子供たちかおばあさん視点の物語の中で、傍からは想像がつかないようなモノローグがあるのも公爵夫人だけだし)、出会ってほどなく彼女はおばあさんの真価を悟り、その本質を口にする。しかしより複雑な世界を生きる公爵夫人はそこに惹かれるものを感じつつも、もちろん同じ生き方はできない。

大人になったバルンカ(ネムツォヴァ)も、身分こそおばあさんと変わらないが、学校へ行き、家を出、文学的才能にめざめてもいただろう。より広い世界、より新しい時代を生きていた。公爵夫人が口にした言葉とそこに込められた思いは、ラスト近くの「バルンカの頭の中のちがう考え」と共通するものだったろう。ネムツォヴァは、公爵夫人の口を借りて、孫としては僭越かもしれないおばあさん評を語らせ、公爵夫人の手を借りて、おばあさんを助け、現実とは少し違うハッピーエンドをプレゼントしたのではないか。そんな風に感じられるラストでありました。

 

ちなみに、400ページ近くある結構厚い本なのですが、岩波少年文庫ということで、原作の分量が多いことと、「風俗習慣のちがいで日本の少年少女のみなさんにはわかりにくい」ことから、一部省略したり表現を改めたりしているとのこと(解説より)。しまった抄訳なのか…と探してみると、岩波文庫でも同じ訳者のがamazonの古本で出てきて、帯の写真には「完訳」とある。迷わずぽちっとしてしまいましたよ…

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